『阿弥陀経』を読む7

★序文ー証信序「六事成就」②〈時・主〉


先生|今回は六事成就の残りを確認しようか。


阿弥|残りの4つは何でしたっけ?

先生|「時」「主」「処」「衆」だね。

阿弥|「いつ」「誰が」「どこで」「誰に」ですね。

先生|まず【一時(いちじ)が「時成就」にあたるよ。


阿弥|これは午前1時ということですか? それとも午後1時のことですか?

先生|いや違うよ。この【一時】は「ひととき」「ある時」といった意味だよ。

阿弥|つまり……いつのことですか?

先生|漠然とした「ある時」じゃなくて、説法の機縁が熟した【一時】のことだね。

阿弥|ということは……いつのことですか?

先生|時を限らないということだよ。


阿弥|なんでハッキリとした時間を言わないんですか?

先生|時間を限定してしまったら、今の私には関係のない昔話になってしまうからね。

阿弥|「今の私と関係がある」という意味が【一時】なんでしょうか。

先生|そうだね。主体的に言えば、お経を私が聞かせていただいている今このときが【一時】だよ。


阿弥|お経に説かれている【一時】は「今」のことなんですか……よく分かりません。

先生|実際にお釈迦さまの説法があったのは2500年前のインドだったのかもしれないけど、お経は「いつか」「どこか」「誰か」のためではなく、「今」「ここ」「私」のために説かれていると受け取ることが大事なんだ。

阿弥|その説法をしている人が【仏(ぶつ)なんですよね。

先生|そう、この【仏】が「主成就」で、もちろんお釈迦さまのことだね。


阿弥|えっ、でもお経ってそもそもがお釈迦さまの説いたものだから、わざわざ言わなくてもよくないですか?

先生|主体的に『阿弥陀経』を読むということは、今ここにいる私がお釈迦さまの説法に遇っているということなんだ。
   「間違いなく仏さまがお説きくださった」という事実がないと、それは成立しないんだよ。

阿弥|確かにどんなに良いことを言っていても、発言している人の正体がハッキリしてなかったり、凄い変な人だったらちょっと疑っちゃいますよね。

先生|日常生活でも「何を言うか」と同じくらい、もしくはそれ以上に「誰が言うか」が大切になることはよくあるね。
   そこもちゃんと明らかにしているのが主成就ではないかな。

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2018年10月14日