日本国内に限れば、戦後ずっと平和な時代が続き、経済的にも恵まれているといえるのかも知れません。生活のことで悩むことは少なくなったり、悩まなくてもなんとか生きていくことができる世の中になったといえるのでしょう。
昔の日本は貧しく、不治の病とされていた結核や、戦争で亡くなる人も珍しくありませんでした。そのため、小説にも「生きるとは何か」「愛とは何か」など、いのちや人間愛ということを直視して真剣に考え、悩む人間がテーマになっていたものも多かったようです。
悩むとは、「真剣に考える」ことです。私も「自分は何のために生きているのか」「生きている意味とは何か」と悩み、真剣に考えてきました。ところが、書店に並ぶ自己啓発書などを読むと、「プラス思考で」「考えすぎないように」と前向きに生きることが勧められています。
確かに、マイナス思考で生きたのでは、気持ちが落ち込み、精神的な病にもなりかねません。何ごとも悲観的に捉えて、身動きがとれなくなってしまうよりは、小さなことでもプラスに転換していく方が、生きる喜びも多いことでしょう。
しかし、同じプラス思考をするにしても、根本的ないのちの問題や、抱えている深い闇から目を逸らして、明るい方向ばかりを考えるように勧めるのは賛成できません。そうした表に出ない、いのちの問題があることを自覚することで、人生が豊かになるのではないでしょうか。「人間はいずれ年老いて病気になって死ぬものだ」と現実を見つめて生きるのと、「いつまでも若くて健康で長生き」と私たちのいのちが抱えている老病死の現実を見ないようにして生きるのでは、同じ明るく生きるのでも、深みが大きく違います。
人間はいのちも能力も限られていることを十分に自覚し、内面の不安を覆い隠さずに、そこを出発点として生きていく。もしもその過程で大いに悩み、考えたとしても、真剣に悩み考えた経験の蓄積は財産となります。新たな深刻な事態に直面したときに、上手に対処するための、良い知恵を生み出してくれるに違いありません。