「長さ」とは長生きのことです。仏教学者の金子大栄師は、「人生は長さじゃない」とおっしゃってますが、長生きを否定されているわけではありません。それも大切ですが、「幅」や「深さ」を持って生きるのが尊いのだと示してくださっているのです。
人生の「幅」とは、いろいろなものを受け入れる柔軟性をいいます。お経の中に出てくる文言で、「身心柔軟」という言葉があります。文字通り、身も心も柔らかいという意味です。
こちらの身心が柔軟であれば、自分の考えと異なる意見や、新しい変化を受け止めることができます。しかし、身心がコンクリートの壁のように硬いと、自分とは違う意見を受け止めることができません。ぶつけたボールのようにはね返してしまうだけです。それでは、視野が広がらず、自身の成長にもつながりません。
自分と対立する人の意見をどこまで理解できるか。自分の考えを曲げてまで賛同する必要はないとしても、相手の主張する内容をなるほどと理解し、自分は採用しないが、そういう考え方もあるなと理解できる人間になれば、それによって視野が新たに広がり、成長する可能性も高まります。
「幅」は、もともと日本画の余白から来たといわれます。一時代前までの日本画の掛け軸は、余白の広い絵が少なくありませんでした。塗りつぶしていない白いところは、中心に描かれている人間や、花などの主題を引き立たせる意味があるほか、その味わいを深める意味もあり、非常に大事なのです。人生も、役に立つものだけで身の回りををぎっしり詰め込めばよいとはかぎりません。日本画の余白のように、一見何も用がないように見えるものが、人生の味わいを深めて、自分のこころを豊かにしてくれることもあります。それが人生の「幅」です。
また、人生の深さとは、自分のいのちの尊さを深く受け止めることを言います。自分のいのちは、遠い祖先から受け継いでいるかけがえのないものであり、目に見える今この世だけではなく、目には見えない世界に支えられているのだと受け止められれば、人生に深まりが出てきます。
何かつらいこと、苦しいこと、嫌なことがあると、「誰それが悪い」と他人のせいにしたり、「自分の置かれた環境が悪い」と周りのせいにするだけでは、一面だけの見方で終わってしまい、深みのある生き方はできません。自分のいのちをどう受け止めるか。自分の側の受け取るこころによって、人生に深まりが出てくるのです。
(参考『人生は価値ある一瞬』より)