人に対して親切にする心や手助けすること、例えば大きな災害で家族を失い、家を失い、仕事を失った人に対して、「気の毒だから何かしてあげたい」という気持ちは、とても尊いものです。お金や品物を寄付したり、ボランティアによる援助活動をするのも、人間ならではの素晴らしい行為だと思います。
その際に心がけて欲しいのは、本人としてはいいことをやっているつもりであっても、その思いが相手にそのまま素直に伝わるとは限らないということです。また、伝わったとしても、相手が心から喜んでくれるかどうかはわかりません。
私たちは人間は、相手が自分の期待した通りの反応をしてくれないと、「せっかくあなたのことを思っていいことをやっているのに、何故わかってくれないのか」と腹立たしく思います。しかし、いいことをしているというのは、ひょっとしたら自分の思い込みかも知れません。相手としては善意を押しつけられて、かえって有難迷惑の場合もあります。
大事なのは、まず一つに、相手を十分に理解することです。困っている事情をよく知り、できるだけ自分のこととして受け止める。そのうえで、自分は何をすればよいのかを考えることです。
二つめは、相手に援助の手を差し伸べたところで、相手が自分の思い通りにならない場合や、相手が自分の期待した通りに受け取ってくれない場合がある、と心にとどめておくことです。見返りも最初から期待しないほうがいいでしょう。
そして三つめが、自分自身も自分の思っている通りの生き方ができないと気付くことです。たとえば、健康によい生活へ改めようと、元旦に「今年こそ禁煙する」「早起きして、ランニングをやる」などと決意しても、なかなかその通りにはできないものです。自分自身でさえ自分の思い通りにはならないのですから、他人を思い通りにできるはずがありません。
反対に言えば、お互いに“思い通りにならない”という共通の基盤があることに気付けば、「いいことをしているのだ」というこちらの善意を押しつけたり、相手から感謝などの反応を期待してもダメなことがわかります。
あくまでも、「私は、あなたのことを十分に理解できなくて申し訳ありません」という前提で、相手の苦しみをできるだけ自分のこととして受け止める。そのうえで、何か手助けや支援をしたとしても、見返りは期待しない。それが私たちにできる誠実な生き方ではないでしょうか。
(参考『人生は価値ある一瞬』より)