幸せだから感謝するのではない
感謝できることが幸せなのだ
近頃は、人に感謝することが難しい時代となりました。目に見える分かりやすいものに囚われ、その背景にあるものに気が付かない。個人主義とも呼ばれ、「私が頑張った」「私が努力した」と、自分の手柄を第一に日々の生活を送る人が増えているようです。
今から40~50年前のお話です。就職活動中の大学生が、とある企業の最終面接に臨みました。
「身上書を見ると、あなたはお父さまを早くに亡くされているようですね。さぞかし、ご苦労されたことでしょう」
「いえ、それでもなんとか腐らずに自分の力を信じて頑張ってきたので、こうして今の自分がいます」
すると突然、面接官の一人が不思議な提案をします。
「今日の面接は一旦ここで切り上げましょう。続きはまた明日同じ時間に。その前に君に家へ帰ったらしてもらいたいことがある。それは、どこでもいいから親の身体を洗ってあげること。できますか」
「はぁ、わかりました」
途中で面接が区切られるなんて聞いたことがないぞ、と思いながら青年は帰宅しました。ちょうど母は呉服の行商で働きに出ており、家にはいません。母親が帰ってきたらどこを洗おうか。きっと外へ出て足が汚れているだろうから、足を洗ってやろう。そんなことを考えながら、たらいに水をくんで待っていると、母親が帰ってきます。
「母さん、お帰り。ちょっと足を洗わせておくれよ」
「足くらい自分で洗うけど……。急にどうしたの」
事情を説明して母親に協力してもらうことになりました。玄関に腰をおろした母親の足をたらいにつけて洗い始めると、青年はあることに気が付きます。
母親の足の裏は石のように固く、傷だらけだったのです。
そのとき青年は初めて気がつきました。自分は今まで自力でこの人生を歩んできたと当たり前のように考えてきたが、そうではなかった。足がこんなにボロボロになるまで命を削って働き、私を育ててくれた存在があったからこそ、今の自分があるのだと。
「ありがとう、おかげさま」と感謝ができることほど、幸せなことはありません。感謝ができないのは自分に不足がある証拠で、寂しい姿ではないでしょうか。感謝の心が、豊かな心を生むのです。