「絶対」は「絶対」にない

日本人の平均寿命は、男女ともに80歳を超えました。多くの人はその年齢近くまでは生き続けられるだろうと考えがちですが、平均寿命まで元気で生き続けられる確証はどこにもありません。ひょっとして、明日には事故や病気で、突然いのちを終えることになるかも知れないのです。

お釈迦さまは、「人生は無常である」とお説きになられました。人生に永遠や絶対はない……今日は健康で元気に過ごしていても、いつまでも続くものではなく、明日はどうなるか分からないのが私たちのいのちです。にも関わらず、私たちは明日も明後日も今日と同じく元気で生活できるものと想定して過ごし、今日できることを簡単に先延ばししたりします。つまり、〝明日〟という何の確証もない、頼りにならないものを頼りにして、私たちは生きているのです。

もう少し身近な例では、お金や親もそうです。私たちはお金なしには生きられませんが、お金さえあれば老後も安心だと頼りに思っていても、犯罪に遭って失う可能性があります。あるいは、インフレでお金の価値が下がってしまうかも知れません。

また、子どもにとって、親は頼りになる存在ですが、いつまでも生きているわけではありません。大病を患って寝込むこともあるでしょう。

お金も親も、まったく頼りにならないとは言いませんが、いずれはなくなるものであり、根本的に永遠であるものとは言えないのです。

私たちはこのように、本当に頼りになるものはこの世にひとつもないにも関わらず、そればかりを頼って生きています。普段、何気なく乗っている乗り物にしても、いつ事故が起きるか分からないのに、そのことを忘れて利用しています。

もし、本当は頼りにならないものを、あたかも絶対に頼りになるかのごとく振る舞うとしたら、それは人間の傲慢さのあらわれでしょう。それがいかに危険きわまりないかは、福島での原発事故で明らかになりました。私たちは、いかに頼りにならないものを頼りにしているかをしっかりと見つめ、「絶対はない」ということを謙虚に受け止めて人生を歩むようにしたいものです。

〈参考『人生は価値ある一瞬』〉

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2017年08月01日