蝉は春・秋を知らない
だから今が 夏だと知らない
中国の高僧である曇鸞大師の言葉に「惠蛄(けいこ)春秋を知らず」とあります。もともと荘子の言葉ですが、大師はさらに「この虫あに朱陽の節を知らんや」と付け加えて味わいを深めています。
惠蛄とはセミのことです。夏に地上へ生まれて夏に死ぬセミは、春と秋を知らないだけではなく、自分のいる季節が夏であることも知りません。他の季節を知らなければ、自分のいる季節がどんな季節であるかも分からないのです。
この言葉は私たちのすがたを示しています。人間もまた死を見つめたときに初めて今の生が明らかになるのです。
人間はいつ頃から死を意識するようになったのでしょうか。現在、世界で最古のお墓といわれているものは、イスラエル北部のカルメル山の洞窟にあります。約一万二千年前に作られ、この頃には人類が死者を葬る儀式をしていたことが分かります。それは同時に死を意識することがはじまったということであり、「生きている」ことの自覚がはじまったことも意味しています。
動物はそうした自覚がないため、お墓を建てたり、葬儀をするということをしません。人間と動物の決定的な違いは「死と生の自覚」と考える学者もいます。生まれた以上、必ず死んでいかなければならないと死を照らす自覚が、人間の生にも輝きを与えました。そうして、宗教や芸術、文学を生み出すことに繋がったのです。動物の世界に芸術や文学はありません。
しかし、現代社会は「死」に対して蓋がされています。生きていることばかりが語られ、「死は敗北」「死んだら終わり」とレッテルを貼って目を逸らし、誰も死に触れなくなってしまいました。
核家族化が進み、孫がお爺さん・お婆さんの老いや死のすがたを身近に体験することもありません。自分自身もいつか死ぬ身でありながら、日常生活のなかから死がどんどん失われ、生きていることの不思議さや有り難さが分からなくなっている人がほとんどです。
なんのために生きているのか答えを持たない人の多くは「働いて利益をあげる」「健康で長生き」が人生の目的であると勘違いしています。中には、生命よりも健康や仕事の利益を優先する人がいるほどです。
例えば、若い人の中には「寝たきりになるくらいなら死んだ方がマシだ」と簡単に言う人がいます。「生命」よりも「健康」を優先している証拠です。しかし、この発言は許されません。なぜなら、今まさに寝たきりになっている人に対して「あなたは生きていても意味がない」と告げることと同じだからです。
また、「生命」よりも「利益」を優先する人たちがいるからこそ、無理な労働を強いられて、いのちを落とす人があとを断たないのです。
今はどれだけ健康で働けていたとしても、人間は誰でも必ず身動きを取れなくなり、孤独を抱え生涯を終えていかなければなりません。そうした私たちが先送りにしながらも、根源的に持っている苦悩を超えるために仏教の教えは説かれました。
「惠蛄春秋を知らず」。豊かに生きるためにこそ、死を見つめて、自分がどこへ向かって生きているのか知ることを大切にしましょう。
〈参考『赤光』より〉