花と仏教15

仏教と華道の続きです。


約1400年前に聖徳太子が京都の中心に創建したとされる六角堂(紫雲山頂法寺)。


用明天皇2年(587)、四天王寺建立のための用材を求めてこの地を訪れた聖徳太子が、霊夢によって六角形の御堂を建て、自らの護持仏である如意輪観音像を安置したと伝えられています。


古来より多くの人びとが救いを求めて参拝しました。


その中に親鸞聖人がいらっしゃったことはご存知の通りです。


境内には親鸞堂があります。


六角堂(本堂)の北側は、聖徳太子が沐浴した池の跡と伝えられます。その池のほとりにあった僧侶の住坊が「池坊」と呼ばれるようになりました。


創建以来、僧侶たちによって仏前に花が献じられ、次第にこの地からいけばなが広まっていきます。


室町時代、六角堂の執行(しぎょう)として寺の実務を担っていた池坊家は、専慶・専応らがいけばな成立期において大きな活躍を見せ、華道家元の地位を確立していきました。

現在も六角堂の執行は住職にあたり、家元とともに代々池坊が務めています。


華道の起源が僧侶たちによる仏前供華にあることがわかりました。華道の根底には仏さまの教えが流れているのです。


華道とは、草木をいける行為を通していのちの尊さを思い、仏さまの教えに出会わせていただく道である……と、歴史から学ぶことができます。

〈参考文献・『季刊せいてん no.133』「せいてん華道教室」弓場洋子〉

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2021年01月05日