お盆です。
お盆は日本古来の祖霊信仰と『仏説盂蘭盆経』の教説がミックスされた仏教行事であろう……とうかがいます。
4s4kiやmillennium paradeなど、今年は新進気鋭の人気アーティストが「お盆」にまつわる曲やミュージックビデオを公開しています。
『仏説盂蘭盆経』の主人公である目連尊者(と舎利弗尊者)の臨終について 『増壹阿含經』26-9(大正藏2,p.639a-643a)には次のように説かれています。
舎衛城の祇園精舎に500人の比丘とともにいらっしゃったお釈迦さまは、舎利弗と目連とともに王舎城に赴き、竹林精舎(迦蘭陀竹園)で雨安居に入りました。
お釈迦さまが「背中が痛いから休みたい」とおっしゃったため、説法は舎利弗が行います。
一方、王舎城で乞食していた目連は、仏教の威勢をねたんでだいた異教徒(竹杖外道、執杖梵士)たちに見つかってしまいました。
「あいつは沙門瞿曇(釈迦)の一番弟子だ。我等が共に囲んで打ち殺そう」と異教徒たちの襲撃を目連は受けます。
目連は骨も砕け肉もただれ、暴逆の限りを静かに受け忍んで、さとりの心に何のたじろぎもしません。
自らの死をさとった目連は神足通で祇園精舎に還り、舎利弗の所へ戻りました。
舎利弗は目連に尋ねます。
「あなたは神通力の名手ですから、すぐに逃げればよかったのではないですか」
「我が宿業は極めて重く、その報いとしてこの痛みを受けました。私はこれにて涅槃に入ります」
「なるほど……目連さん、少し待っていてください。私とあなたは一心同体です。涅槃に入るときは私も一緒です」。
重い病に罹っていた舎利弗はそう言うとお釈迦さまの元へ行き、涅槃に入る許しを請いました。
しかし、お釈迦さまは黙っていて返事がありません(默然不對)。
舎利弗は再びお釈迦さまの告げます。
「私は今まさに涅槃に入るときなのです」。
お釈迦さまに事情を説明して許しを得た舎利弗は、自分が生まれ育った摩痩国に赴き、チュンダ(均頭)沙弥に看取られて入滅しました。
チュンダ沙弥は舎利弗が入滅後、阿難尊者と釈尊に舎利弗の入滅を伝えます。
お釈迦さまはおっしゃいました。
「一切行無常 生者當有死 不生不復滅 此滅最第一」
お釈迦さまは比丘たちに告げます。
「舎利弗という智慧才覚に秀でた尊く素晴らしい比丘が入滅した」
舎利弗の入滅を知った目連もまたお釈迦さまに涅槃に入る許しを請いました。
しかし、お釈迦さまは黙っています。
目連は何度も何度も涅槃に入る許しを請いました。
それでもお釈迦さまは黙ったままです。
すると、目連は黙ってお釈迦さまの足に礼拝をして、そのままその場を去りました。
目連は王舎城から自分の生まれ育った摩痩村に赴き入滅しました。
舎利弗と目連という2人の弟子を失ったお釈迦さまは、500人の比丘とともに王舎城から那羅陀村へ至り、露地に坐って舎利弗と目連を悼む説法をします。
そこで転輪王と漏尽阿羅漢と辟支仏と如来の入滅に際してはストゥーパを立てて供養すべきことを説かれました。
原典に沿って私訳しましたが、かなり断片的でわかりにくいかもしれません。
要するに目連尊者は乞食をしているときに仏教を憎む異教徒にボコボコにされて抵抗することなく亡くなった……ということでさし支えないでしょう。
舎利弗の入滅なども関わる有名なエピソードです。(『雑阿含經』と『根本有部律』では異なった内容で説かれています)
ちなみに『根本説一切有部毘奈耶雜事』には、「なぜ目連尊者は異教徒にボコボコにされたのか?」という問いに対して、お釈迦さまが「目連は過去世において妻に溺愛し、母親を大事にしないで酷いことを言ったのでその報いを受けた」と答えています。
『仏説盂蘭盆経』や『仏説目連救母経』の内容と併せて考察すると、目連と目連の母親の関係性はとても興味深いものがありそうです。