前回、お坊さんのメガネはフチがないものが多いという話をしました。
稱名寺の前住職遺影を見ると、フチありメガネ。割と最近の流行に近い幅のあるクラシックな形です。
次に現住職のメガネ。フチありです。
そして副住職は視力が0.4~0.6で、裸眼か度の弱いコンタクトが多いです。
しかし、コンタクトを外し忘れることや車を運転することがよくあるで、最近はメガネをかける機会が増えました。
衣を着用する時は、やはり主張が少ないメガネです。フチが上半分あるタイプです。
ちなみにメガネといえば、福井県鯖江市。国内生産シェア96%で品質の高さは世界的に有名ですが、上のメガネはドイツ製です。
というのも、メガネもどんどん進化をしているようで、今は「溶接無し」「ネジ無し」という革新的な技術があるそう。
この先進的な構造によってできた“ほぼ壊れないメガネ”は日本製にはない……とメガネ屋さんに熱弁されたので購入してみました。
どうでもいい話ですが、普段はフチありです。こっちは福井県鯖江市のものです。
いただきものですが、お洒落なメガネもあります。しかしお洒落をする機会がないので、かけることはありません。
色々と紹介しましたが、結局は量販店で作った安くて軽くて壊れてもいいものばかり使っています。貧乏性の悲しい性です。
メガネを掛けたところで私たちの視力そのものが良くなるわけではありません。目が悪いのはそのままです。
しかし、メガネを通して見ると視界がハッキリとして、目の前に広がる世界が大きく変わっていきます。
仏教の教えも似ているように思います。仏教の教えを聞いたところで、私を取り巻く環境や今の状況が大きく変わったり、病気が治ったり、苦しみや悲しみが直ちにキレイさっぱり無くなるわけではありません。
しかし、仏さまの言葉や真実に触れるときに、私の環境や状況はそのままにして、物の見え方が大きく変わったり、悲しみや苦しみの質が変化していくのです。
恩師から、「仏教は私が転じてられていく教えである」とよく聞かせていただいたことを思い出します。
合掌