昨日は、浄土真宗本願寺派のご門主によるご親教(ご門主さまからのご法話)を紹介しました。
「伝灯奉告法要(でんとうほうこくほうよう)」という法要の最初に披露されたものですが、この法要の最後にも「ご消息(しょうそく)」、つまりお手紙の形式で全国の門信徒に対してお言葉がございましたので掲載します。
伝灯奉告法要御満座の消息
昨年の10月1日よりお勤めしてまいりました伝灯奉告法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。10期80日間にわたるご法要を厳粛盛大にお勤めすることができましたことは、仏祖のお導きと親鸞聖人のご遺徳、また代々法灯を伝えてこられた歴代宗主のご教化によることは申すまでもなく、日本全国のみならず、全世界に広がる有縁の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことに有り難く思います。
昨年の熊本地震から1年を経過し、甚大な被害をもたらした東日本大震災から6年が過ぎました。改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。どれほど時間が経過しても心の傷は癒されることなく、深い痛みを感じてお過ごしの方も多くおられるでしょう。なかでも、原子力発電所の事故による放射性物質の拡散によって、今なお故郷に帰ることができず、不自由な生活を余儀なくされている方々が多くおられます。思うままに電力を消費する便利で豊かな生活を追求するあまり、一部の方々に過酷な現実を強いるという現代社会の矛盾の一つが、露わになったということができます。
自分さえ良ければ他(ほか)はどうなってもよいという私たちの心にひそむ自己中心性は、時として表に現れてきます。このような凡愚の身の私たちではありますが、ご本願に出遇い、阿弥陀如来のお慈悲に摂め取られて決して捨てられることのない身ともなっています。そして、その大きな力に包まれているという安心感は、日々の生活を支え、社会のための活動を可能にする原動力となるでしょう。
凡夫の身であることを忘れた傲慢な思いが誤っているのは当然ですが、凡夫だから何もできないという無気力な姿勢も、親鸞聖人のみ教えとは異なるものです。即如前門主の『親鸞聖人750回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」を期する消息』には、
凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏なれ、 仏法ひろまれ」と、精一杯努力させていただきましょう。
と記されています。このように教示された生き方が念仏者にふさわしい歩みであり、親鸞聖人のお心にかなったものであるといただきたいと思います。このことは、ご法要初日に「念仏者の生き方」として詳しく述べさせていただきました。
今、宗門が10年間にわたる「宗門総合振興計画」の取り組みを進めておりますなか、来る 2023(平成35)年には宗祖ご誕生850年、そして、その翌年には立教開宗800年という記念すべき年をお迎えいたします。
改めて申すまでもなく、その慶讃のご法要に向けたこれからの生活においても、私たち一人ひとりが真実信心をいただき、お慈悲の有り難さ尊さを人々に正しくわかりやすくお伝えすることが基本です。そして同時に、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただくことが大切です。
み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましょう。
以上です。
合掌