お盆2

前回、「お盆」とは「盂蘭盆(うらぼん)」のことで、「お供えのご飯をのせたお盆」の意味だと考えられるていることを確認しました。引き続き、お盆について書きたいと思います。


お供えものを意味する言葉が、どうして7~8月のお寺参りやお墓参りなど仏教行事となったのでしょうか。


その答えは盂蘭盆をテーマにした『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』と呼ばれるお経の中にあります。


今から約2500年前、お釈迦さまがインドにいらっしゃったころのお話です。お釈迦さまのお弟子のひとりに目連(もくれん)という人がいました。
目連はお釈迦さまのお弟子の中でも「神通力(じんずうりき)」に秀でていたことから、「神通第一(じんずうだいいち)」と知られます。
神通力とは、超人的で自由自在な活動能力のことで、主に

①神足通(じんそくつう)……行きたいところに自由に行くことができる能力。
②天眼通(てんげんつう)……世間のすべてを見通し、衆生の未来を予知する能力。
③天耳通(てんにつう)……世間一切の苦楽の言葉、遠近の一切の音を聞くことができる能力。
④他心通(たしんつう)……他人の考えていることを知る能力。
⑤宿命通(しゅくみょうつう)……自己や他人の過去のありさまを知る能力。
⑥漏尽通(ろじんずう)……煩悩を滅尽させる智慧。六神通のうち前の五は凡夫にも得られるが、第六の漏尽通は聖者のみが得るといわれる。

の六神通として説かれます。今風の言葉でいうところの“テレポート”や“透視能力”や“未来予知”などの超能力のようなものでしょう。
「非科学的だ!」と怒る人がいるかも知れませんが、これらは凡夫を超えたものの象徴表現です。

神通力とは

たとえば、もしある人に数十秒間1cmほど浮く能力があったとしたら、それを仏教で神通力とは言いません。なぜかというと、仏教(特に大乗仏教)では、神通力とは利他のためのものだからです。

こんな逸話があります。とある大金持ちの庄屋さんが王舎城の路上で高く掲げた竿の上から栴檀(せんだん)で作った高価な鉢をつり下げて、「神通力でこの鉢が取れたらプレゼントしますよ」と言いました。
そこで、仏教徒以外で神通力自慢の異教徒たちが鉢を取ろうとしたのですが、誰も取ることができません。その場に居合わせた仏弟子の賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ)が一緒にいた目連に「神通第一と言われるあなたなら、あれを取ることはたやすいだろう。取ったらどうですか」と言うと、目連は「私はこんなことに神通力を使ったことがない。あなたも神通力が使えるんだから自分で取ったらどうだ」と言います。無邪気な賓頭盧頗羅堕は言われるがままに神通力を使って鉢を取りました。
ところが、そのことがお釈迦さまに知られると、「人前でこれ見よがしに神通力を使うのは、己を売るいやしい行為だ」と叱られてしまいます。彼の行為は自己顕示欲であり、自分のために鉢を取るというのは“利他”ではありません。
つまり、目連が「神通第一」と呼ばれたのは、いつ・どこで・何のため・どういう形で神通力を発揮するのが正しい使い方ということをよく分かっていたからでしょう。

神通力のひとつに、空間を自由に飛び移動できる「神足通」があります。そんな能力が事実としてあったかといと、誰もにわかには信用できません。では、「神足通」とはいったい何なのでしょうか。
例えば、目連が遠く離れたまったく別の場所にいるお釈迦さまと、法について対話したという逸話があります。そこでは、神足通で空を飛んでお釈迦さまがこっちに来たとか、自分があっちに行ったとか、そういう問題ではないとも言っています。
これは、生身のお釈迦さまとではなく、真実そのものの法身(ほっしん)との対話を意味していると味わうことができます。法とあいまみえることがお釈迦さま(仏さま)とあいまみえることなのです。
このように、智慧と関わる神通力を得ると、いつでもどこにいても、お釈迦さま(仏さま)と対話ができるということを言っているわけです。これが神通力の意味ではないでしょうか。

ある意味では、神通力とは私たち凡夫の能力を超えた「超能力」だと言えるかも知れません。しかし、それは私たち凡夫の能力が煩悩に縛られて自由自在に振る舞えないという意味でもあります、煩悩を超過した者の振る舞いが「超能力」に見えるということなのではないでしょうか。私たち凡夫の理解を超えている能力というだけであり、荒唐無稽なことを言っているわけではないのです。
神通力とは、きちんと法の眼が開いて煩悩の闇が破られた者にとっては、ある意味では当たり前のことをやっているだけなのかも知れません。

〈参考『季刊せいてん no.112』「仏弟子の横顔」本願寺出版社〉

 

六神通を習得した目連は、最初に“天眼通”で亡くなった自分の両親が今はどんな世界で何をしているのだろうかと探します。すると母親の姿があったのは“天道”という神々や天人たちの住む世界ではなく、生前に嫉妬深かったり、物惜しみやむさぼる行為をした人たちが赴く“餓鬼道(がきどう)”の世界でした。


餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまいます。痩せているにも関わらずお腹は出ていてかつ喉が細いのは、決して満たされることがない餓鬼の性質を表しています。

変わり果てた母親のすがたに驚いて悲しんだ目連は、すぐにご飯を用意して“天足通”で母親の元へ届けます。
が、前述したように餓鬼道は苦しみの世界。母親が食べようとするとご飯はすぐに燃えて炭となってしまうのです。


目の前の悲劇に泣き叫びつつ、目連はお釈迦さまにこのことを報告しました。するとお釈迦さまは次のようにおっしゃいます。

「目連さん、あなたのお母さんは罪が重かったようです。こればっかりはあなたひとりの力ではどうにもできません。
ただ、いろいろなところでの修行をしている者の力が集まれば救うことができるでしょう。ということで、あなたのお母さんを救済する方法を教えます」

その方法とは、7月15日にある「自恣(じし)」の日に、集まってきたお坊さんたちにたくさんのご馳走や寝具などを振る舞うというものでした。

当時のインド仏教教団では、4月15日~7月15日までの3ヶ月に渡って、お坊さんたちは外出するのをやめて一カ所に集まって修行に励んだといいます。
雨期の間は外出がしにくいだけでなく、草木の若芽を踏んでしまったり、活動的になる昆虫などの生き物を殺生してしまう可能性があるのでこの期間が設けられたようです。ちなみに、この期間のことを「安居(あんご)」「夏安居(げあんご)」ともいい、現在でも各宗派ではお坊さんのたちの夏の勉強会や夏の修行が開催されています。


この3ヶ月間の最終日には、参加者全員が集まって修行中のことを反省し、自分の罪を告白したり懺悔したりします。この日のことを「自恣」というのです。

お釈迦さまに言われたとおりに目連は、7月15日の「自恣」の日に参加していたすべての者に対してたくさんのご馳走……つまり「お供えのご飯(盂蘭盆)」などを振る舞います。

すると、その目連や集まった修行者たちは大いに法悦に包まれ、目連の泣き声もいつしか消えていました。この時に目連の母親は、永きにわたって続くはずだった餓鬼道から救われたのでした。めでたしめでたし。


省略したところもありますが、以上が『仏説盂蘭盆経』の大体の内容です。このお経は「目連救母説話」をベースにしつつ、夏安居の最終日に行われる飲食(おんじき)供養の作法が中心となっています。
これは仏教において僧団に属する出家修行者が守らなければならない規則をまとめた「律蔵(りつぞう)」の特色をもっています。形式としては『目連所問経』と同じです。

仏教がインドから各地域に伝播していく過程でその地域の民間信仰を吸収して、その地域に仏教が定着することに大きな役割を果たしたことは、今日では常識になっていますが、この経の成立もそうであると考えられます。古く(南北朝時代までは確認される)からあった七世父母のための追善供養を吸収して、中国に土着する役割を担ったと思われます。こう言って、「お盆の行事が従来の仏教にはなかった」と言うのではありません。現在の8月15日かどうかは別として、夏期の安居の終日には、飲食供養がインドでもあったようです。さらに、父母の供養をすること自体までも否定するのが仏教ではありません。供養自体に功徳を認めるか認めないかは大きな問題でありますが、日常の煩わしさに包まれて、自己を振り返ることのない我々に、「お盆」というひとつの行事が、仏と対面し、仏の問い、仏と語るという機縁、言い換えるならば法を聞く機縁になれば、それはそれで重要な役割を果たしていると言えるように思われます。〈内藤昭文『仏弟子に学ぶ』〉

ちなみに母親が救われたのを目連尊者たちが喜んで踊り出したのが「盆踊り」の由来だとか。救われていく母親の歓喜の踊りという説もあります。


このお経に説かれている目連尊者が亡くなったお母さん(お経には今の両親と過去七回の前世における両親を死後の苦しみの世界から救済すると説かれています)のために7月15日にご馳走(盂蘭盆)を振る舞った(供養した)のが、形を変えて私たちが亡くなったご先祖さまのために7月15日(旧暦)や8月15日(新暦)の前後に法事を営んだり、お墓参りをするというお盆のルーツとなったと考えられます。


また、お盆の時期には浄土真宗以外のお寺で「 施餓鬼会 (せがきえ) 」「 施食会 (せじきえ)」「おせがき」という仏教行事がつとまることも多いです。
先に紹介した『仏説盂蘭盆経』に『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)』の内容が混ざったのがその由来と考えられています。

仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経とは

お釈迦さまの十大弟子のひとりである阿難尊者(あなんそんじゃ)が、静かな場所に座り瞑想している時のことでした。夜も更けた丑三刻(うしみつどき)、「焔口(えんく)」という名の餓鬼があらわれました。身は醜く枯れ細り、口からは火を吹き、喉は針の先のように細く、見るのも恐ろしい姿でした。

餓鬼は阿難の前に座ると語りかけます。

「阿難よ、お前の寿命はあと3日で尽きる。死んだ後は餓鬼となり、私と同じような醜い恐ろしい姿になるだろう」

びっくりした阿難は餓鬼に尋ねます。

「どうしたらその苦をのがれることができますか」

「明日の朝、無数の餓鬼と、バラモン(司祭者)に、多くの飯食(お供物)を用意しろ。そうすれば、その功徳によってお前の寿命は延び、私は餓鬼の苦を離れ、天上に生まれることができるだろう」

阿難尊者は恐れに震えながら、お釈迦さまにどうしたらそれほどたくさんの食物を用意できるか、助けを求めました。

するとお釈迦さまは、限りない功徳があり、勝れて巧妙な思うがままの妙力をそなえる陀羅尼(だらに|無量威徳自在光明殊勝妙力)を示し、次のように教えました。

「心配しなくてよい。この呪文を唱えながら餓鬼に食物を布施しなさい。そうすれば僅かな一食でも、たちまちにたくさんのおいしい食べ物になり、無数の餓鬼を満足させることができるだろう。またバラモンにも心のこもった食べ物を布施することになるだろう。無数の餓鬼たちに食物をほどこして供養した功徳(くどく)により、餓鬼も救われ、その功徳によってお前も救われるだろう」

施餓鬼会(せがきえ)は、釈尊に教えを請い、寿命を延ばすことのできた阿難(あなん)の説話にもとづく行事であり、その求めに応じて釈尊が示された修法が施餓鬼会のはじまりとされています。

〈参考「智積院ホームページ」より〉


『仏説盂蘭盆経』の説示を振り返ってみると、目連尊者が餓鬼道の母親にお供えをしたから母親が救われたわけではありません。
亡くなった母親を縁として、目連自身が安居に参加して法を聞きながら、供養していくところに目連尊者も母親も救われていく道が開かれたのです。

浄土真宗のお盆も、亡くなった方々をご縁として、私たちがお寺へお参りして仏法を聞きながら、供養(讃嘆供養|さんだんくよう)つまりはお礼を申し上げていくことを大切にしたいものです。

合掌

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2017年07月14日