飯田橋の交差点の横断歩道で友達と信号待ちをしていると、赤信号を無視して渡っていく人がいました。
すると、その人のあとを続いて2、3人が更に信号無視をして歩いて行きます。都内ではよく見る光景かも知れません。
「今はじめに飛び出してった人みたいなルールを率先して守らない人間がいるから、他の人もつられたり真似をして信号無視をしてしまうんだ。あの最初に渡った人さえいなければね」
友人が隣で語るのを聞いて、私は全く逆のことを考えていました。
赤信号では止まるべきと誰もが知っています。その反面、できれば赤信号に引っかからずスムーズに移動したいという思いを持っています。
最初に信号無視をした人は「みんなが守っているのに、自分だけルールを破って横断歩道を渡る」という行為に多少なりとも罪悪感や後ろめたさがあったように思います。
しかし、2番目や3番目に続いた人はどうでしょうか。
「あいつが無視したんだから私も無視しよう」
「あの人がやったんだから大丈夫だ。私は悪くない」
自分がルールを破ることの原因を人に押しつけることで正当化して、罪の意識など生まれないと思います。
以前、書いたことがありますが、仏教では「自覚のある悪」「自覚のない悪」では、後者の方が罪が重いと考えます。
普通は「無自覚の人間よりも悪いと知っててやる方が悪い」と考えますので、とても面白い考え方です。
そう考えると、私は友人とは違って最初に信号無視をした人よりも、その人を隠れ蓑にして2番手3番手に信号無視をした人の方がちょっと恐ろしい気がする……と友人に伝えました。すると、
「いや、最初に渡った人も罪の意識はないかも知れないじゃん。それにあとから渡った人だっていろいろな事情があったのかも知れないし、何よりもまず交通マナーは守らなきゃダメでしょう」
そうですよね。
合掌