いくつかのグループに分けられて、テーマに沿って話し合った内容を代表者が発表。
とある発表者が言葉を詰まらせ、沈黙が続きました。
すると、
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
とお念仏が響きます。
一般的には“なんだそれ?”と感じられますが、実は静かになると誰とはなしにお念仏がこぼれるのは、お坊さんあるあるのひとつです。
重ねて“なんだそれ?”となるかも知れませんが、浄土真宗では「仏さまのはたらきそのもの」「仏さまの呼び声」がお念仏です。
響いていく「なんまんだぶ」は、「ともにいる仏がいますよ」「それでいいですよ」「あなは独りではないよ」と仏さまが告げてくださる声なんだと味わいます。
静かな空間がそうした声で埋められる光景をありがたく感じました。
しかし、その発表が終わった後に、最後のまとめを担当した講師の方が、
「私はさっきのようなのは嫌いです。人を追い込む念仏をしないでください」
と語りました。
お坊さんでそんな考え方の人がいるとは夢にも思いませんでしたが、「そういう人もいるんだな」と勉強になりました。
次の日に、また別のテーマで話し合い法座が。
話し合いを終えて発表の場に立った方が次のように述べます。
「今回は最後の発表の場となりました。講師の方からも好きなことを語っていいとお許しがあったので、ひとつお話しさせてください。
昨日、発表者の方が言葉を詰まらせた場面がありました。私も口ベタなのでああした状況はよく分かります。
沈黙が流れると本当にどうしていいのか分からないとパニックになってしまう状況で、会場のどこからともかく『なんまんだぶ』とお念仏が響きました。
本当に苦しい、辛いという状況にあって、その苦しみや辛さをご存知で寄り添ってくださる仏さまの慈悲の心があることは尊いことです。
改めて私にはたらく仏さまの存在をありがたく思わせていただくと同時に、もし私が黙ってしまったときも是非お念仏お願いします。
その反面で、講師の先生がおっしゃっことも決して無視はできません。私たちは人の多様性を抑えつけてしまうことがないようにあるべきでしょうし、そのことをお念仏の教えに聞かせていただきます」
お坊さんとして、ご自身のお念仏のよろこびを語ったうえで、そのことによって誰かを裁くことがないように配慮したすがたがとても印象的でした。
合掌