少し前に読んで印象的だったイソップ物語のひとつ「ロバを売りにいく親子」を紹介します。
とある親子が、飼っていたロバを売りに行くため、市場へ出かけました。
ふたりでロバを引いて歩いていると、それを見た人が言います。
「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ」
親は子どもをロバに乗せました。
しばらく歩くと、別の人がこれを見て言います。
「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて、ひどいじゃないか」
今度は親がロバに乗り、子どもが引いて歩いくことにしました。
また別の人が言います。
「自分だけ楽をして子供を歩かせるとは、悪い親だ。いっしょにロバに乗ればいいだろう」
ふたりでロバに乗ることにしました。
また別の人が。
「ふたりも乗るなんて、重くてロバがかわいそうじゃないか。もっと楽にしてやればどうか」
1本の棒にロバの両足をくくりつけ、親子で吊り上げて担いで歩くことにしました。
すると、不自然な姿勢を嫌がったロバが暴れだします。
不運にもそこは橋の上だったため、ロバは川に落ちて流されてしまいました。
親子は苦労しただけで1円の利益も得られませんでした。【完】
私が読んだ本には、「周りから気に入られようとしても、誰も気に入ってはくれない。それだけでなく、自分自身が不利益を被る」という教訓を伝える物語として掲載されていました。
個人的な受け止めは、「世間の目は厳しい」ということです。今の世の中もそうかも知れません。
人間が持っている考えや言葉は相手を裁くものばかり。私も相手を批判し、相手も私を批判し、時には自分で自分を批判し……お経の中に「この世界は濁った世界である」と説かれるように、私たちの世界は厳しいものです。
ちょうど読んでいた『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』の解説本にも次のような文章がありました。
「見濁(けんじょく)」とは、正しくものを見る眼がないことから起きる思想の濁りをいいます。価値観が多様化し、いろいろな考え方や、物の見方が入り交じって、それぞれが主義主張を繰り返し、他人の意見に耳を傾けようとしません。それで何が真実なのかもわからず、よこしまな思想や見解がはびこります。
合掌