稱名寺の外観は、あまりお寺っぽくはありません。
どこかアジア風な建造物の様な、はたまた洋風建築の様な、インドの寺院の様にも見えます。
この稱名寺の本堂は、1945(昭和20)年5月25日の空襲で焼けてしまった後に再建され、現在のすがたとなりました。
実は都内で戦後に新しく建て直された浄土真宗のお寺は、こうした形のものが多くあります。
というのも、
浄土真宗本願寺派の東京の拠点である、この築地本願寺のすがたをご覧いただけたら分かると思います。
都内にいくつか存在するインド様式のお寺は、稱名寺も含めてこの外観に倣っています。
1934(昭和9)年に建築家の伊東忠太氏によって、築地本願寺はそれまでにはない前衛的な伽藍のお寺として生まれ変わりました。インドの仏教建築をベースとしていますが、実際にインドにこの形式のお寺があるというわけではありません。
伊東忠太氏がインドで見てきた仏教建築の要素を随所に取り入れた独自の建築となっています。
さて、この築地本願寺の境内にはもともと墓地があったのですが、関東大震災に罹災して東京都杉並区永福に移転をします。そこに「和田堀廟所(わだぼりびょうしょ)」という築地本願寺の墓地機能を持ったお寺が誕生しました。
1954(昭和29)年には、築地本願寺と同じくインド仏教様式の本堂が建てられます。
こうして見ると、稱名寺とよく似ています。
実は稱名寺の本堂が再建されたのは、和田堀廟所の本堂完成の翌年である1955(昭和30)年のこと。
稱名寺の前住職は、新しい本堂の建設にあたって、当時の最先端であった和田堀廟所の本堂建築をかなり参考にしたようです。
特徴的な丸みを帯びた屋根は、菩提樹の葉っぱをモチーフにしています。
菩提樹といえば、お釈迦さまが悟りを開かれたのは菩提樹の木の下であったと伝えられています。現在でもインドのブッダガヤには、その菩提樹の子孫にあたる木が残っているそうです。
菩提樹の実で作られた数珠も昔から人気があり、仏教徒にはとても大切にされている植物なのです。
残念ながら菩提樹は熱帯でしか育たないため、日本ではあまりお目にかかれません。
代わりに日本の各地のお寺では葉っぱの形が似ている“シナノキ科”のボダイジュが植えられているのをよく見かけます。インドの菩提樹は“クワ科”の植物なので全く別種なのですが、それだけお寺の人には思いがあるようです。
話が逸れましたが、稱名寺の特徴的な外観には以上のような背景があったというお話でした。
合掌