御命日法要

「月命日(つきめいにち)」という言葉をご存知でしょうか。

例えば、3月16日に亡くなった人の場合は、3月以外の毎月16日が月命日となります。

3月16日の命日当日は「祥月命日(しょうつきめいにち)」といいます。

余談

本来は「正当の月命日」で、「正月命日」と書いていたそうです。
しかし、“正月”は1月1日と紛らわしいので“祥月”と書きます。

この“祥”という字は中国の儒教の書物である『礼記(らいき)』にある「小祥(しょうしょう)」「大祥(だいしょう)」に由来します。そもそも“祥月”とは、死後一周年目にあたる死亡月を指すものです。
詳しくいえば、親が亡くなって13ヶ月後に「小祥」、25ヶ月後に「大祥」という祭祀をつとめます。
仏教でも一周忌を「小祥忌」、三回忌を「大祥忌」と呼ぶことがあるようです。

【祥】の漢字

※【祥】の文字は、旧字で【祥】と書きます。

偏の【示】は神や霊の降りる祭壇の象形文字です。
そこに神々の心がしめされるので【しめす】の意味になりました。

旁の【羊】は、動物の羊のことですが、神へのお祈りのために捧げる生け贄の意味もあります。
『漢字源』によると、生け贄に捧げる羊は姿形が良いものであるため、ここでの【羊】は「良いすがた」を意味します。

よって【祥】の漢字単体では、「神々の心や意思が、姿や形となって外に表れたもの」を意味します。

そのため、神の心がいい形で表れることを「祥い(さいわい)」といい、神の意志や今後の運勢が形になってあらわれることを「祥し(きざし:兆し)」といったりします。

「小祥」「大祥」のように、親が亡くなって一定期間後の祭事に【祥】の字があてられるのは不思議なことです。
親の死という辛いできごとが、儀式を経て私にとって意味のあるものに転じられていくから……ではなく、「小祥」「大祥」で喪に服する期間に区切りがつくことがその理由のようです。


日本では、1874(明治7)年に出された大政官布告の「服忌命(ふっきめい)」において、“喪服を着て故人の冥福を祈って慎ましく服している期間”の記述があります。

父母のときは13ヶ月とあります。先に見た中国の「小祥」の期日と同じです。

しかし、時代を遡ると「正忌月(しょうきげつ)」という言葉も見られます。
忌月は毎月ありますが、亡くなった月は「正当の月」なので、「正忌月」といい、これを略した「正月(しょうつき)」の言葉が生まれたのが先であろうとも言われています。

命日という言葉は、『仏説灌頂経(ぶっせつかんじょうきょう)』の中にある、死亡の日を「命過日(めいかにち)」と示した経説に由来するといわれます。
“過”は過ぎるということで、「一期の寿命が過ぎ去った日」という意味からこれを略して「命日」というのでしょう。

(参考『仏教質問箱』より)

浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は1263年1月16日(旧暦:1262年11月28日)にご往生されました。そのため、1月以外の毎月16日は親鸞聖人の月命日です。


築地本願寺でも毎月16日は9:30から親鸞聖人御命日法要が勤修されます。

引き続き、ご法話があります。
今日のご講師は大江宏玄先生。東京都練馬区にあるお寺の副住職です。


京都で長年の研鑽を積まれた、首都圏を代表する眉目秀麗な学僧。
お話はやさしく面白く有り難い凄腕の先輩僧侶です。


法要の前後には、親鸞聖人は小豆が好物だったと伝えられることから、あんぱんが配られます。


稱名寺に戻ると、お世話人さんと打ち合わせをして、本堂掃除。
明日からのお彼岸へ備えます。

合掌

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2017年03月16日