春彼岸入り

春分の日・秋分の日を中日として、前後各3日を合わせた期間を『お彼岸(ひがん)』といいます。
今年は3月17日(火)から23日(水)が春のお彼岸期間です。

彼岸とは、「彼方の岸」「目指す理想の境地」を意味します。
煩悩の激流の中である此岸(しがん)から、修行によって渡りきった向こう岸のこと。
つまり、輪廻という迷いを超えた悟りの境地を指す言葉です。

語源は

古代インド語であるサンスクリット語には、「pāram(パーラム)」という言葉があります。
「最高の」「究極の」ということで、中国では悟りの境地である「彼岸」と意訳されていました。

他にも、「彼岸」は「到彼岸」の略語だとする説もよく聞きます。

サンスクリット語にpāramitā(パーラミター)という言葉があります。中国では漢字を当てはめて、「波羅蜜(はらみつ:旧訳)」「波羅蜜多(はらみた:新訳)」と書かれます。
般若心経で「はんにゃーはーらみーたー」と出てくるのはこれのことです。

言語学的には、「pārami(pāram:最高の)」と「tā(状態)」で「究極最高であること」「完成態」と意訳されるのが通例です。

ただ、中国や日本では「pāram(彼岸に)」と「ita(到った)」で彼岸という場所に到ることや、彼岸に到るための行と訳されることが多いようです。

pāramitā
(音訳)→波羅蜜多
(意訳)→到彼岸
(略して)→彼岸

(参考『岩波仏教辞典』)

いろいろと本を読んでいたら、お彼岸は日本独自の仏教行事だということが分かりました。

平安時代のはじめに、崇道(すどう)天皇の祟りを鎮めるため、全国の国分寺・国分尼寺で春分と秋分に『金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)』を読誦(どくじゅ)したのがはじまりといわれているようです。

以来、かたちや内容を広げながら、日本にお彼岸が浸透していきました。

過ごしやすいこの季節に、さとり(彼岸)に到るための行である六波羅蜜(ろくはらみつ)の修行をするのがお彼岸ということでしょうか。wikipediaにも

俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。

とありました。

一週間の修行でさとりに到れるものではありませんので、「さとりを目指すきっかけにせよ」という意味がお彼岸に込められていたのかと思います。そのためか、どの宗派の寺院もこの時期に彼岸会を勤められます。〈参考『お彼岸-春(2017)』〉

「過ごしやすい時期だからお寺で仏法を聞きましょう」
「ご先祖さまを偲んで、自分のいのちの生老病死(しょうろうびょうし)を見つめましょう」

くらいで考えると分かりやすいのかも知れません。

浄土真宗で定番とされるお彼岸の味わい方もありますが、また改めて書かせていただきます。

ちなみに

日本で彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもの。炊いた米を軽くついてまとめ、分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子として作られるのが一般的である。これらの名は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われる。〈wikipedia〉

だそうです。

続き①
続き②

合掌

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2017年03月17日