浄土はどこ

春のお彼岸の中日です。

春分の日と秋分の日は、昼と夜の長さが同じ長さになるといわれています(実際には昼の方が長いようです)。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、比較的に気候が穏やかになり、過ごしやすい時期となっていきます。

また、この日は地球の地軸が太陽に対してまっすぐの状態となります。そのため、どこの国でも太陽が真東から昇って真西に沈みます。

以前、彼岸は「はるか彼方の岸」であり、仏さまの悟りの境地を示す言葉であるとご紹介しました。
浄土真宗では、彼岸は「阿弥陀如来が建立した“極楽浄土”である」と聞かせていただきます。

この浄土について説かれたお経の『仏説阿弥陀経』には、「従是西方過十万億仏土有世界名曰極楽」と説かれています。現代語訳すると、「ここから西の方、十万億の仏さまの世界を過ぎたところに“極楽(浄土)”と呼ばれる世界がある」といった意味になります。

「太陽が沈んでいく西の方向にお浄土がある」と、お釈迦さまは私たちに教えてくださったのです。

しかし、西にまっすぐと進んでいってもお浄土に辿り着くことはありません。
地球は丸いといわれますから、一周して元の位置に帰ってくることになるでしょう。

すると、なぜお釈迦さまは阿弥陀如来の世界を「西方極楽浄土」とおっしゃったのか。

いくつか理由が考えられますが、例えば「対象や方向を指し示すことで、心を寄せやすくなること」が挙げられます。


以前、『千の風になって』が流行りました。亡くなった方は風や星となって私たちを見守ると歌われています。

確かに亡くなった方が墓石の下でずっと動けないのであれば、かわいそうで仕方がありません。
お経にもお浄土に生まれた者は仏さまとなって、お墓のなかだけではく、空間や時間を超えるのだとあります。

だからといって、風や星に向かってお墓参りが成立するかといえば、そういう訳にはいきません。
ご遺骨を納めたお墓という対象があるからこそ、亡くなった方に思いを馳せることができます。


イスラム教の信者は聖地メッカ(イスラム教の開祖である預言者ムハンマドの生誕地)にあるカーバ神殿の方角へ、毎日5回(シーア派は3回)の礼拝(サラート)を欠かさないと聞きます。そのため、キブラコンパスと呼ばれる聖地の方向を知るための方位磁針をいつも持ち歩くのだそうです。
別に正確な方向が分からなくても、心の中でメッカを思って礼拝すればいいように思いますが、方角という対象があればこそ、より心を寄せやすくなるのではないでしょうか。

お仏壇もお墓も、そしてお浄土の「西」という方角も、私が心を向ける場所としての意味があります。

じゃあ、なぜ東でも南でも北でもなく西なのか?

についてもまた書きたいと思います。

合掌

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2017年03月20日