浄土真宗では、彼岸とは、阿弥陀如来が建立した“西方極楽浄土”であると中日に書きました。
「じゃあ、なぜ東でも南でも北でもなく西なのか?」
について書きたいと思います。
※かなり趣味全開の長文なので、読み飛ばしてください。
西というのは、太陽が沈む方角です。私たちの一生を一日に例えるとしたら、
「誕生=日の出」
「若年・中年=日中」
「晩年=日の入り」
となります。一日の終わりを告げる日没が人生の終焉を象徴し、そこに浄土があると示されたのです。
また、【西】の漢字は籠や鳥の巣を象った「象形文字」です。日が暮れると鳥が巣に帰るように、私たちもいのちの火が尽きるときに、阿弥陀如来に抱かれて“西方極楽浄土”へ帰るのだと味わうことができます。
中国の道綽禅師(どうしゃくぜんじ)という高僧も、『安楽集(あんらくしゅう)』という書物の中で、「どうして西なのか」を論じています。一例ですが、
閻浮提(えんぶだい)には、日の出づる処を生と名づけ、没する処を死と名づくといふをもつて、死地によるに神明の趣入その相助便なり。〈『安楽集』より〉
【私訳】私たちの住んでいる世界(閻浮提)では、日が昇るところを“生”と名づけ、日が沈むところを“死”というから、いのちが終わるにいたって、こころを寄せていくのに都合がいいのです。
先に述べたように、日が沈む方向がいのちの終わりと重ねやすいことが挙げられます。
このゆゑに法蔵菩薩願じて成仏し、西にありて衆生を悲接したまふ。
そして、阿弥陀如来が仏となった時に、私たちを浄土へ導くために、自分で願って西を選んだとあります。
ただ凡夫の人は身心あひ随ふ。もし余方に向かはば、西に往くことかならず難からん。
なぜなら、心では西を思っていても実際に西を向かないと私たちは往生を願うのが難しいからです。確かに心と身体が一致していないと落ち着かない気もします。
ゆゑに『須弥四域経(しゅみしいききょう)』にのたまはく、「天地はじめて開くる時、いまだ日・月・星辰あらず。たとひ天人来下することあれども、ただ項の光をもつて照用す。その時人民多く苦悩を生ず。ここにおいて阿弥陀仏、二菩薩を遣はす。一は宝応声(ほうおうしょう)と名づけ、二は宝吉祥(ほうきっしょう)と名づく。すなはち伏羲(ぶくぎ)・女媧(じょか)これなり。この二菩薩ともにあひ籌議して第七の梵天の上に向かひて、その七宝を取りてこの界に来至して、日・月・星辰二十八宿を造り、もつて天下を照らしてその四時春秋冬夏を定む。時に二菩薩ともにあひいひていはく、〈日・月・星辰二十八宿の西に行く所以は、一切の諸天・人民ことごとくともに阿弥陀仏を稽首したてまつれ〉となり。ここをもつて日・月・星辰みなことごとく心を傾けてかしこに向かふ。ゆゑに西に流る」と。
【私訳】『須弥四域経』には次のようにあります。天地が初めてできた時には まだ太陽や月や星はありませんでした。 もし天人がおりてきたとしても、 ただ頭上の光で照らすだけです。 その頃の人々は、多く苦しみ悩みました。 そこで阿弥陀仏が二菩薩を派遣されたのです。 一人は宝応声といい、 もう一人は宝吉祥といいます。 これは古代中国神話の帝王である伏犧とその妹の女媧のことです。 この二菩薩は共に相談し、梵天が住んでいる初禅天に行きます。そこから七宝を取って私たちの世界へ持ってきて、 日・月・星・二十八宿(月が地球を一周するあいだに通過する28の星座のこと)を創造し、 天下を照らして、 春秋冬夏の四季を定めました。 ときに二菩薩が共にいうには、 「日・月・星・二十八宿がみんな西へ行く理由は、 すべての天人や人間を、ことごとく共に阿弥陀仏を礼拝させるためなんです」 と。 だから、 太陽も月も星もみなすべて心を傾けて西へ向かいます。 そのために西へと流れていくのです。
東もそうかも知れませんが、西の方角はすぐ知ることができます。太陽や月が沈んでいく方向だから、方位磁針がなくてもすぐに分かるのです。
「いのちの終える方角」「いのちの帰る方向」と心でイメージしやすいだけでなく、身体もしっかりと向けられるのが西なのです。
しかも、阿弥陀如来が遣わせた菩薩によって太陽や月は西に沈むようになったとありますから、浄土が西にあると説かれていることもまた、阿弥陀如来がすべてのものを摂め取ろうとする慈しみのこころであると道綽禅師は受け止められています。
お釈迦さま自身も、お浄土をイメージするときには、まず夕陽を心に想い描きなさいと勧めています。そこには三つの理由があると中国の善導大師(ぜんどうだいし)という高僧が明らかにされています。
衆生をして境(きょう)を識(し)り心を住めしめんと欲して、方を指すことあることあり。〈『観経疏』「定善義」より〉
【私訳】私たちにお浄土という境涯を認識させて、心にとどめるために西の方角を指した。
冬夏(とうげ)の両時を取らず、ただ春秋の二際を取る。その日正東より出でて直西に没す。弥陀仏国は日没の処に当りて、直西十万億の刹を超過す。
【私訳】冬と夏ではなく、 春と秋がいいです。太陽が真東に出て、 真西に没するからです。阿弥陀仏の国は、太陽が沈むところにあって、 真西へ十万億の世界を超えたところにあります。
“十万億仏土”の距離もそうですが、“西”のように具体的な方角を示されているのは、お浄土が間違いなくあることを知らせて、心を一点に集中させるためです。
さらにはお彼岸のように太陽が真西に沈んでいく時期こそお浄土に心を向けやすいともおっしゃっています。お彼岸の浄土真宗的意義はここにあるのでしょう。
次に、
衆生をして自の業障に軽重あることを識知せしめんと欲す。
【私訳】衆生に自分の悪業によってもたらされる障害に軽重がある事を知らしめるためである。
善導大師は、私たちの悪業を黒い雲・黄色い雲・白い雲に譬えています。雲があると太陽が見えないように、罪業や悪業がある限りは、どんなに頑張っても仏さまや浄土を観想することができません。
そこで道場を整えて、自分の罪をすべて仏さまに告白する「懺悔(さんげ)」の儀式によって、業障をなくすようにしなさいとおっしゃいます。
最後に、この世界で最も明るい太陽を通して、その百千万倍に輝く浄土のすがたを知らせるためであるという理由です。
春のお彼岸のご縁に、お経に「浄土(彼岸)が西にある」と説かれる理由を、いろいろと述べてみました。
すでに窮理の聖となりて、まことに遍空の威あり。
西にありて時に小を現ずるは、ただこれしばらく機に随ふのみ。〈『往生礼讃』より〉
【私訳】(阿弥陀如来は)すでに真理をきわめた仏さまとなって、まさしくすべての世界にゆきわたるすぐれた徳がある。
(それなのに)浄土が西という方角をもって小さく表現されているのは、ただこれは一時的に私たちに応じているからである。
まとめると、阿弥陀如来の浄土が「西方」とあるのは、すべてが私たちを摂め取って、往生成仏させようとするはたらきの顕現であるということです。
合掌