守破離

子どものころ、合気道を習っていました。

師範が、【シュハリ】という聞き慣れない単語を用いていたのを今も覚えています。

どういう意味だろうと調べてみたところ、手持ちの辞書や辞典には掲載されていませんでした。


間違った情報も多いインターネットの参照は気がすすみませんが、検索結果は次の通り。

守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。個人のスキル(作業遂行能力)を3段階のレベルで表している。

まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。

武道等において、新たな流派が生まれるのはこのためである。〈「wikipedia」より〉

何事も「型を守り、破り、離れる」という過程を大切にしましょう……そんな先人の知恵ですね。


誰が言い出したのか、出典はハッキリしていないようです。

型ができてない者が芝居をすると型なしになる。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか? 結論をいえば型をつくるには稽古しかないんだ。〈立川談春『赤めだか』より〉

落語家の立川談志が弟子の談春に伝えた言葉です。どの世界でも「守破離」が大切にされてきたことがわかります。

お坊さんも、メロディーのあるお経は、最初に譜面通りしっかり唱えることが重要です。

法話や説教であれば、起承転結を大事にすることからはじまります。

もちろん、個性や独創性も必要です。ただ、それは自分で出そうとしなくても、自然と表れるものではないでしょうか。

お坊さん同士でも「君はもっと型を破って自分を出した方がいい」「教科書通りでは意味がない」という指摘を聞くことがあります。

「我」や「個性」を押し出す社会となった影響?と邪推してしまいます。

どっちが正解かはわかりませんが、ひとまず今は先人の知恵にすがりたく存じます。

合掌

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2017年04月05日