五十六億②

「五十六億七千万」の和讃を読む理由について、勤式指導所時代に当時の堤主任にお尋ねしたことがあります。

宗祖親鸞聖人のご真筆草稿本『正像末和讃』(国宝─高田派本山専修寺所蔵)は「五十六億」讃から始められており、第五首の和讃

弥陀の尊号となへつつ
 信楽まことにうるひとは
 憶念の心つねにして
 仏恩報ずるおもひあり

と、『浄土和讃』「冠頭讃」の

弥陀の名号となへつつ
 信心まことにうるひとは
 憶念の心つねにして
 仏恩報ずるおもひあり

は「尊号」と「名号」、「信楽」と「信心」が異なるだけで同じである。

第六首の和讃の

五濁悪世の有情の
 選択本願信ずれば
 不可称不可説不可思議の
 功徳は行者の身にみてり

と、『高僧和讃』「結讃」の

五濁悪世の衆生の
 選択本願信ずれば
 不可称不可説不可思議の
 功徳は行者の身にみてり

は「有情」と「衆生」が異なるだけで後は同じである。

このように同じ和讃を二度用いられたのはこの二首だけであり、古来この「五十六億」の六首を宗祖御命日や報恩講で用いるのは、その意味の深さからであろう。


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2025年01月22日