心のゆとり

財布にまったくお金が入っていないときは、買い物のひとつひとつに神経をつかいます。
普段なら何の気兼ねもなく買っている飲み物を選ぶときも、

「財布には500円しか入っていない……これを買ったら昼ご飯が食べられなくなるから我慢しよう」

といった具合。同じ金額を使うときでも、手持ちが多ければ多いほど、細かいことは気にしなくなります。
いずれにしてもお金は大切に使わなければいけません。

人の心もゆとりがある時とない時では、受け取り方が大きく変わるのではないでしょうか。


主催している『教行信証』勉強会が開催されました。

理由があって自分だけですべて準備をしているので、会場設営・受付・資料配付・説明・おつとめ・講師案内……などなど、忙しなく心に余裕がない時間が続きます。
そのため、会費をいただく時にお釣りが必要となる大きなお金を出されると、「ちょうどの金額を準備してきて欲しい……」と内心では思ってしまいます。自分も同じようなことをしますし、普段はそこまで気にしないのですが。


終了後、ひとりで後片付けをしていると、はじめて参加された方から声をかけられました。
最初は勉強会のことをいろいろと聞かれましたが、次第に話はお坊さんに対する愚痴へと変わり、その後は西本願寺や築地本願寺への不満が爆発。

ちょうど勉強会が終わって心に余裕があったため、「きっと嫌なことがあったんだろうな」と思いながら「はい」「そうなんですね」と最後まで聞き役に徹することができました。

これが忙しくて心に余裕がないときだったら、恐らく反論に反論を重ねてしまっていたでしょう。
良かった……のかどうかは分かりませんが、相手もスッキリとされていましたし(内心はどうか分かりませんが)、少なくとも自分が後悔するような事態にはならなかったので今思うとホッとします。

合掌

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2018年02月01日