茨城県常教寺の藤本真教先生が金子みすゞさんの次のような詩を紹介されていました。
積もった雪
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしてゐて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせてゐて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面(じべた)もみえないで。
私たちは「思い通りにならない娑婆世界」で、「思い通りにしたいという煩悩」を抱えているがゆえに、誰もが哀傷に押し包まれながら悲嘆に暮れる人生を歩まねばなりません。
「そんなことはない」と胸を張って言える強い人であっても、大きな挫折や病気、死に直面したときはどうでしょうか。
お釈迦さまが私たちの世界を「苦しみの世界である」と説かれたように、悲しみや苦しみからは誰もが逃れることができません。
幸せな人と不幸な人がいるのではなくて、みんなが同じように苦悩を背負ってしか生きていくことができない……この詩を通じてそんなことを感じました。
しかし、お釈迦さまは同時にこの世界は「お慈悲が聞こえる世界である」とも説かれています。
患者がいるから、薬や病院、医者が存在するように、
苦しみの世界で窮愁の身に陥る私がいるから、南無阿弥陀仏や浄土、阿弥陀如来が聞こえてくるのです。
合掌