「袈裟(けさ)」はお釈迦さまが見た田んぼの風景を模したことから「田相衣(でんそうえ)」、田んぼが豊かな恵みを与えてくれるように仏法の福徳(功徳)を受けられることから「福田衣(ふくでんえ)」、小さく裁断した布を縫い合わせて作ることから「割截衣(かつせつえ)」とも呼ばれます。
他にも「糞掃衣(ふんぞうえ)」という名称があります。文字面だけでも汚さが伝わってきます。
『摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)』16巻には次にように説明されています。
里巷中棄弊故衣。取浄浣補染受持。是名糞掃衣。
(里巷中に棄てたる弊故衣を取り、浄浣補染して受持す。是れを糞掃衣と名づく)
「塵芥にまみれた布きれ」「汚染された布きれ」「人が不用になり捨てた布きれ」などを清潔に洗い、丈夫で使えそうな部分を切り取り、綴り合わせて刺子を施し、1枚の袈裟に仕立てたものが「糞掃衣」です。
『四分律(しぶんりつ)』39巻には具体的に次の10種を糞掃衣の材料として用いるように挙げられています。
①牛嚼(ごしゃく)衣 → 牛に嚼まれた衣
②鼠噛(そこう)衣 → 鼠のかじった衣
③火焼(かしょう)衣 → 焼け焦げた衣
④月水(がっすい)衣 → 女性の月経で汚れた衣
⑤産婦衣 → 産婦がお産の際に汚した布
⑥神廟中(しんびょうちゅう)衣 → 鳥がついばんでくわえてきた持ち主のない衣、神廟にお供えしてある衣が風に吹き散らされて廟中を離れたもの
⑦塚間(ちょうけん)衣 → 塚間(墓場)で拾った死人などの衣
⑧求願(ぐがん)衣 → 願掛けのために使われた衣
⑨受王職衣 → 王様が王位についた時に捨てられる、以前に着ていた衣
⑩往還(おうげん)衣 → 死者の棺桶にかけて葬場まで行き、帰る途中で捨てた衣
他にも『五分律(ごぶんりつ)』21巻に10種、『清浄道論(しょうじょうどうろん)』に23種などが挙げられています。
いずれにしても「死」や「出産」など当時の仏教成立以前からインドで不浄とされていたものとの関係性が浮かび上がります。
体を覆えるほどの大きな布は簡単に手に入れることができなかった時代。お釈迦さまは、捨てられてしまうような布こそ用いるように推奨されました。
例えば、遺体は布にくるんで火葬場に運びます。火葬する際には墓地に布は捨てられ、不浄なものとして放置されていたようです。
「そうした布を使いなさい」というお釈迦さまの教えには、「死」をはじめとした不浄と考えられ忌避されるものを、「ありのままに見なさい」という思いが込められているのではないでしょうか。〈参考『季刊せいてん』〉
曹洞宗の開祖である道元禅師は『正法眼蔵』「袈裟功徳」において、糞掃衣を「最も清浄な衣」と述べ、最上の衣として位置づけています。
『正法眼蔵』「袈裟功徳」
十種糞掃。一牛噛衣、二鼠噛衣、三火焼衣、四月水衣、五産婦衣、六神廟衣、七塚間衣、八求願衣、九王職衣、十往還衣。
この十種、ひとのすつるところなり、人間のもちゐるところにあらず。これをひろふて、袈裟の浄財とせり。三世諸佛の讃歎しましますところ、もちゐきたりましますところなり。
しかればすなはち、この糞掃衣は、人天龍等のおもくし、擁護するところなり。これをひろふて袈裟をつくるべし、これ最第一の浄財なり、最第一の清浄なり。
いま日本國、かくのごとくの糞掃衣なし。たとひもとめんとすともあふべからず、邊地小國かなしむべし。
ただ檀那所施の浄財、これをもちゐるべし。人天の布施するところの浄財、これをもちゐるべし。
あるひは浄命よりうるところのものをもて、市にして貿易せらん、またこれ袈裟につくりつべし。
かくのごときの糞掃、および浄命よりえたるところは、絹にあらず、布にあらず、金銀・珠玉・綾羅・錦繍等にあらず、ただこれ糞掃衣なり。
この糞掃は、弊衣のためにあらず、美服のためにあらず、ただこれ佛法のためなり。
これを用著する、すなはち三世の諸仏の皮肉骨髄を正伝せるなり、正法眼蔵を正伝せるなり。
この功徳、さらに人天に問著すべからず、仏祖に参学すべし。
十種の糞掃衣。一には牛の噛んだ服、二には鼠のかじった服、三には焼け焦げた服。四には月経で汚れた服、五には産婦が用いて汚れた服、六には神廟に捧げて捨てられた服、七には墓場に捨てられた死人の服、八には山野で神に祈願して捨てた服、九には国王が即位灌頂の式を行った後に捨てた服、十には葬儀の時に死者に掛けていた服。
この十種の服は人が捨てるものであり、人間が使用しないものです。これを拾って袈裟の清浄な衣材とするのです。この糞掃衣は過去・現在・未来の仏たちが賛嘆されるものであり、この仏たちが用いて来られたものなのです。
そのために、この糞掃衣は、人間、天人、龍神などが重んじて守って来たのです。ですから、この糞掃(ぼろ布)を拾って袈裟を作りなさい。これが最も第一の清浄な衣材であり、最も第一の清浄な袈裟なのです。
今の日本国には、このような糞掃衣はありません。たとえ求めようとしても出会うことが出来ないのです。この国が、糞掃衣の伝わらない辺地の小国であることは悲しいことです。
ですから今は、ただ施主の施す清浄な衣材を用いて袈裟を作りなさい。人々の布施する清浄な衣材を用いて袈裟を作りなさい。
或いは、清浄な生活で得たものによって、市で衣材を買い求めて袈裟を作りなさい。
このようにして作った糞掃衣、清浄な生活で得た糞掃衣は、絹でも麻や綿でもありません。金銀 珠玉や綾羅 錦繍などでもなく、もっぱらこれは糞掃衣と言うべきものです。
この糞掃衣は、破れ衣のためでも美服のためでもなく、ただ仏法のためにあるのです。
これを着用することは、過去 現在 未来の仏たちの皮肉骨髄を正しく伝えることであり、仏法の真髄を正しく伝えることなのです。
この袈裟の功徳を学ぶには、決して人々に尋ねてはいけません。このことは仏や祖師に学びなさい。
糞掃衣の衣材について『四分律』39巻を引用し、「十種糞掃」に挙げられる布きれが「最第一の浄財」であると述べています。
しかし、現実問題として、こうした布きれを日本で手に入れるのは難しいです。
そこで道元は「インドからかなり離れた日本においては、このような衣材を拾うことはできないません。代わりに檀那などの布施によっていただいたものを用いましょう」と提言しています。
従来の経律論には見られない、道元禅師独自の「糞掃衣」解釈です。〈参考『糞掃衣の変遷』松村薫子〉
合掌