袈裟4

布きれを縫い合わせて作る袈裟。仏典には「自分の袈裟は自分で縫うように」と定められています。
これは、十大仏弟子と呼ばれるような高名な弟子たちも例外ではありません。
さらに縫い方まで指定があります。


一般的に、着物などを縫うときは「並縫い」を用います。


しかし、袈裟はすべて「返し縫い」で作ります。

▲返し縫い(上)と並縫い(下)

返し縫いは耐久性が高く、並縫いよりも丈夫に仕上がります。
とはいえ、袈裟も当初は普通に縫っていたようです。


仏典には異教徒から袈裟にイタズラをされた舎利弗(しゃりほつ|十大仏弟子のひとり)のエピソードが残っています。
こっそりと糸を切られていることに気がつかずに袈裟がハラリと脱げ落ち、舎利弗は大衆の前で裸になってしまって大恥をかいたそうです。

この事件がきっかけとなって、「袈裟を縫うときは丈夫な縫い方をするように」と、お釈迦さまは定められました。


『十誦律(じゅうじゅりつ)』15巻には「却刺(きゃくし)はこれ仏の許すところ、如法に畜用すべし。直縫は得ざるもの、これ世人の衣法なるをもってのゆえ。却刺もって俗に異なる」とあります。
「直縫」は世俗の縫い方で、「却刺」は仏法の縫い方と教えています。
「却刺」とは袈裟の縫製ルールのひとつであった返し縫いのことです。


禅宗では、一針ごとに礼拝するような気持ちで心をこめて縫うことを意味する「一針三礼」とか「一針一礼」という言葉があります。


袈裟の縫製といえば、お釈迦さまの十大弟子のひとりで「天眼第一」の異名を持つ阿那律(あなりつ)尊者の逸話が有名です。
阿那律はお釈迦さまの従兄弟で、出家したてのころ説法中に居眠りをしてしまいました。その後、反省して不眠で修行を重ね、視力を失うと同時に「天眼通」の神通力を手に入れます。


お釈迦さまが舎衛国を遊行し、祇園精舎にいたころの話です。阿那律は娑羅邏巖山(しゃららがんせん)で修行していました。

ある日の夜明け、阿那律は袈裟を身につけて托鉢へ出向きました。
同じころ、別の仏弟子・阿難(あなん)も舎衛国の村で托鉢に励んでいました。

阿難が托鉢を終えるのを見計らって、阿那律が声をかけます。

「阿難さま、私の袈裟は傷んでいます。どうか仏弟子のみなさんのお力添えをいただき、修復を手伝っていただけませんか」

阿難は阿那律の願いを聞き受け、托鉢を終えると、他の仏弟子たちに呼びかけました。

「今から娑羅邏巌山に行って、阿那律尊者のために袈裟を縫っていただけませんか」

阿難が房舎を巡って呼びかけていたのを見かけたお釈迦さまが訊ねます。

「阿難よ、何をしているんですか」

「お師匠さま、実はこれからみんなで阿那律尊者の袈裟を縫うことになりまして、その協力を要請しています」

「どうして私を誘ってくれないんですか」

「それでは是非、お師匠さまもご一緒ください」

娑羅邏巌山にやって来たお釈迦さまと800人の仏弟子たちは、寸法を測って、衣材を裁断し、布をつなぎ合わせて却刺をしました。
こうして、みんなで力を合わせて阿那律の袈裟が完成したといいます。〈『迦絺那経』(「中阿含経」80)〉


他にも『増一阿含経』31巻には阿那律が衣を縫おうとしたところ、針に糸を通すことができない場面が描かれています。

「阿羅漢(あらかん|尊敬されるべき聖者・修行者)よ、私のために針に糸を通してくれ」と念じると、お釈迦さまがそのことを知ってやって来ました。

「私がお願いしたのは功徳を積むことを欲している阿羅漢だったのですが……」

お釈迦さまの気配を察知した阿那律が恐縮していると、

「阿那律よ、私ほど功徳を積みたいと欲している者はいませんよ。仏は六法(施、教誡、忍、法義説、将護衆生、求無上正真之道)において厭足(えんそく|飽き足りること)することがありません」と説かれました。

合掌

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2018年02月14日