動物の往生

動物は極楽浄土へ往生することができるのか──という質問がよくあります。


まず、「人間はできるだろうけど、動物はできないんじゃないだろうか」という動物を下に見る人間優位な考え方が間違いではないでしょうか。


「そうはいっても、動物は言葉を理解できない」といった反論もあります。


『大阿弥陀経(だいあみだきょう)』というお経には次のように説かれています。

「第四に願ずらく、〈某作仏せしめん時、わが名字をもつてみな、八方上下無央数の仏国に聞かしめん。みな諸仏おのおの比丘僧大衆のなかにして、わが功徳・国土の善を説かしめん。諸天・人民、蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん。歓喜踊躍せんもの、みなわが国に来生せしめ、この願を得ていまし作仏せん。この願を得ずは、つひに作仏せじ〉」と。〈『註釈版聖典』「教行信証 行巻」引用文より〉

[現代語訳]わたしが仏となったときには、わたしの名号(南無阿弥陀仏)をすべての世界の数限りない多くの国々に聞こえわたらせ、仏がたにそれぞれの国の比丘たちや大衆の中で、わたしの功徳や浄土の善を説かせよう。それを聞いて神々や人々をはじめとしてさまざまな虫のたぐいに至るまで、わたしの名号を聞いて、喜び敬う心をおこさないものはないであろう。このように喜びあふれるものをみなわが浄土に往生させよう。わたしは、この願いを成就して仏となろう。もしこの願いが成就しなかったら、決して仏にはなりません。


蜎飛は飛び回る小虫、蠕動は地にうごめくウジ虫のことです。ここであえて動物や魚ではなく虫が名指しで出てきているのは、人間から見て「特に救われないだろう」と考えられる存在であるからではないでしょうか。
仏さまからご覧になれば、人間も動物も魚も植物も微生物も虫も変わりありません。他の生き物が救われるかどうかは私には分からない話ではありますが、少なくとも阿弥陀如来は人間であろうと動物であろうと虫であろうと間違いなく救うとおっしゃっている仏さまであることはお経から分かります。


浄土真宗本願寺派の前門主である大谷光真師は、立命館大学文学部の特別講座において、参加者からの質問に対して次のように答えています。

「最近、ペットの葬儀を行ってくれるお寺がありますが、動物も極楽浄土へ行けるのですか」
「ペットのお葬式をどうしたらいいのか戸惑う住職が多いですが、頼めばしてもらえる場合が多いと思います。動物が死後、ただちに極楽浄土へ行けるかどうか、仏でない私たち人間にはわかりませんが、生きとし生けるものを照らし、仏にしたいと願われている阿弥陀様ですから、人間とは別な手立てをご用意されていることでしょう。
なお、私たちにとって大事なことは、まず私自身が確かにお浄土へ生まれるかどうか、私のいのちのゆくえを教えに聞いていくことです」〈『世の中安穏なれ 現代社会と仏教』〉

合掌

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2018年01月28日