大乗非仏説

浄土真宗は無数のお経の中から『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の「浄土三部経」を依りどころとしています。「お釈迦さまという仏さまが説かれた法(真理)である」という意味で、それぞれに「仏説」という言葉が付いています。


このことについて、近代において提示されたのが「浄土三部経をはじめとした大乗経典はお釈迦さまが説いた教えではない」という主張(大乗非仏説)です。

そもそも、仏典に示されている教えの内容は非常にバラエティ豊かであり、多岐にわたっています。
表面的には「まったく違ったことが書かれているのでは……」と思えるものもあります。

中国や日本の学僧たちは「どの経典がお釈迦さまの教えの真髄なのか」を問題にして研究してきました。
しかし、この営みは「すべての経典はお釈迦さまの説いたものである」ということを前提しているといえるでしょう。

ところが近代になって文献学の分野で研究が進むにつれ、「歴史的に見ればお釈迦さまの教えをそのまま伝えているのは大乗経典ではなく、むしろそれまで重視されていなかった阿含経典ではないか」と考える人が出てきました。
大乗経典はお釈迦さまがお亡くなりになってかなり経ってから……具体的には紀元前1世紀ごろから登場したことがわかってきたからです。
この研究成果は「すべての経典はお釈迦さまの説かれた教えであり、その中でも大乗経典こそが仏教の真髄である」と思っていた人たちには衝撃でした。

現在では、大乗経典が「お釈迦さまがお亡くなりになってから数百年を経て世に出てきたもの」ということは常識となっています。
「大乗経典はお釈迦さまの口から説かれた教えをそのまま文字にしたものだ」と考えている人は仏教界にはもうほとんどいません。

では阿含経典がお釈迦さまの教えそのものであるかというと……実はそううともいえないのです。
研究が進むにつれて、阿含経典の中にも後から付け加わった部分がさまざまにあることがわかってきたのです。
もっとも古いと思われてきた部分ですらも、仏教以外の考え方と通じる部分が多く見られて「阿含経典こそがお釈迦さま直接の説法である」とは単純に結論づけられないことが判明しました。

というのも、経典が文字化されたものとして成立するまでは、少なくともお釈迦さま在世の時代から少なくとも200年ほどは暗唱によって保持され伝えられています。
そこには暗記するためのさまざまな工夫があり、阿含経典もまたお釈迦さまの説法が一言一句正確に伝えられたものであるとはいえません。
ただし、それでも阿含経典が「お釈迦さまの説法を記録したものである」という背角が失われることはないですし、その点は大乗経典とは多いに性格が異なるでしょう。

このように阿含経典も「お釈迦さまの教えそのまま」と単純には言えないのであれば「仏説」をどう考えるべきでしょうか。
また「大乗仏教はどのようにして成立してきたのか」ということが問題となってきます。

「大乗経典をどのように考えるのか」ということについては、「お釈迦さまの説法をそのまま記録したものではないが、その述べられている内容はまさしく仏さまの教えが示されてあり、仏の教えが説かれている」ということをもって「仏説」とする……というのが基本的な考え方です。

この考え方とは別に「阿含経典は基本的に出家修行者に対する教えである」ということを問題にする人もいます。
在家信者に対する教えも若干は含まれているものの、阿含経典が出家修行者の僧院の中でまとめられ、編纂されたことは疑う余地がありません。
しかしお釈迦さまは在家信者に対して説かれた教えの量はかなり多かったでしょう。
その在家信者に対するお釈迦さまの説法は、その大部分が阿含経典には収録されていないのです。
すると、お釈迦さまが説かれた「在家信者の成道」の教えの核となるものは、在家信者の間で伝承されることになったと考えられます。

在家信者に説かれた教えが在家信者の間だけで伝承されたと考えられるのは、お釈迦さまのお亡くなりになったあと、出家修行者がそれまでの遊行(ゆぎょう)生活から主に僧院で生活するようになったことも関係しています。
生活スタイスルの変化によって、お釈迦さまご在世の当時よりも出家修行者と在家信者との間に距離ができてしまったのです。
そして時間の経過とともに、出家修行者の間にも在家信者が伝承した教えが伝わり、さらなる時間を経て大乗経典の核となっていったのでしょう。

こうして考察を重ねたときに問題になるのが「大乗経典も対告衆(たいごうしゅ|教えが説かれる相手)が出家の仏弟子である」ということです。
たとえば『仏説阿弥陀経』は「如是我聞一時仏在」とはじまり、「長老舎利弗」つまり出家の仏弟子に対して教えが説かれていますし、『仏説無量寿経』の対告衆は阿難尊者です。

しかし、浄土教という教えの内容から考えると、お釈迦さまが舎利弗や阿難に対してこれらの法を直に説いたとは考えにくいでしょう。
それなのに出家修行者である仏弟子を相手に説かれているように示してあるのは、その教えが出家集団の中で経典として編纂されるにあたり、それまでと同様の形式、要するに「仏弟子に対して説かれたように形式を整えられた」と考えられます。

あるいは般若経典などは数多くの種類が存在しますが、そのことも内容の統合・整理・再構築という作業が出家集団の中で繰り返されたことや、お釈迦さまが在家信者に法を説かれた地域が広範囲にわたっていたことの結果である可能性が大きいです。

これらはあくまで推論ですが、他の諸説も実際には決定的な根拠があるわけではありません。
ですが、そもそもどこにも伝わっていないような怪しいものが、お釈迦さまがお亡くなりになってから数百年経った後にいきなり経典として世に出現し、「これはお釈迦さまの説法である」と広く受け入れられることはありません。
実際に大乗経典は仏さまの教説として広く受け入れられ、多くの仏教徒を生み出しました。
なぜならば、その内容がお釈迦さまの説かれた法の真実があるからこそ成立するものであり、後の人の勝手な創作ではなかったからです。

いずれにしても、教えをいただくのは「私」の他にはありません。
「仏説」ということも、そこに私自身が歩むべき仏道が説かれているかどうかが問題であることはいうまでもありません。

〈参考『季刊せいてん』より〉

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2022年01月01日