同体の慈悲2

阿弥陀如来という仏さまは、「あなたの悲しみを知っていますよ」「あなたの苦しみは私の苦しみであるよ」とおっしゃってくださる慈悲の仏さまです。


何故かといえば、仏さまの智慧の眼から見ると私たちは仏さまの一部のようなものであるからといわれます。


例えば、右手と左手という異なる身体のパーツがあります。
この右手をぶつけた時に、思わず左手でおさえる……それは右手と左手は異なる身体のパーツではあるものの、同じ身体の一部であるからです。左手は右手の痛みを共有し、その痛みを和らげようと右手の元へ飛んでいきます。


同じように仏さまと私は、異なる存在のように思えます。
しかし、私が苦悩を抱えるときに、仏さまもその苦悩を共有してくださいます。仏さまと私は別の存在であるように思いますが、仏さまから見ると仏さまと私に区別がないからです。
それだけでなく、その苦悩を取り除くために私のもとに飛び込んできてくださいます。


自分の苦悩を共有してくれる人は、世の中にそれほどいません。私たちはどこまでいってもお互いに別の人間であり、自分と相手の間には大きな隔たりがあります。
自分の苦悩と相手の苦悩は全くの別物であって、独りで苦しむことを余儀なくされるのが私たち世界です。


そうした世界であるからこそ、自分の苦悩を知っていてくれる存在は支えとなるものです。


広島県のK先輩が話していた「良寛」という僧侶の話を紹介します。
良寛は江戸後期の禅僧であり、歌人として知られます。
また、禅僧でありながら、念仏の教えをよろこんでいかれた方でもありました。


良寛さんが晩年に新潟県を行脚していたときのことです。
とある村のとあるお家に1週間ほど泊めてもらうことになりました。


「あのご高名な良寛禅師に泊まっていただけるなんて光栄です。……折り入ってひとつ相談があるのですが」

「どうされましたか?」

「家の裏に息子が住んでいるのですが、この息子が本当にどうしようもなくて……なんとか一人前にしてやりたいんですが、ご助力いただけませんでしょうか?」

「なるほど、分かりました」


それから1日、2日と経ちました。しかし、良寛さんが何をしていたのかというと、絵を描いたり、書に集中していたといいます。


その後も3日、4日と経ち、5日、6日が経っても良寛さんの様子は変わりません。


遂に1週間が経ち、良寛さんは旅立ちの時を迎えました。
縁側に座ってわらじの紐を結んでいたときのことです。寒さ厳しい新潟県で、しかも晩年のことでしたので手が震えてなかなか紐を結ぶことができません。


「良寛さん、もう旅立たれるのですか?それは残念です……見送りくらいは、息子も立ち会わせてください」

家の主人は裏に住んでいるどうしようもない息子を引っ張り出すと、「さぁ、良寛さんのわらじの紐を結んで差し上げろ!」と縁の下に突き出します。


「なんで俺が坊主の世話なんか……」

文句を言いながらも、父親に言われるがままに良寛さんのわらじの紐を結んでいると、ポツリポツリと何かが落ちてきました。


見上げると、良寛さんが涙を流していたのです。


帰り際に良寛さんは息子さんに

「そうか、お前もか」

と一言だけ告げて手を合わせると、また旅立っていかれました。


その後、息子さんは、家や村のなかでしっかりと働くようになったといいます。

さて、どうして息子さんは働くようになったのでしょうか。


良寛さんは家の中で一週間過ごしましたが、特に息子さんのために何かをしたわけではありません。しかし、そうであったからこそ家の様子がよく分かったのでしょう。

「お前はいつまでそうしているんだ!」
「もっとしっかりしろ!」
「恥ずかしいと思わないのか!」

お父さんが息子を叱る様子を見ながら、息子さんの背負っている悲しみを察して涙を流したのです。

「そうか、お前もか」。良寛さんが掛けた言葉はたった一言でした。しかし、その一言のなかには

「そうか、お前も苦しいのだな」
「そうか、お前も辛いのだな」
「そうか、お前も色んなものを背負って生きているのだな」

と多くの意味があったのです。

 


私たちもまた、お互いにさまざまな苦悩を抱えています。そうした自分自身の気持ちを分かってくれて共有してくれる存在があったら、どれほど支えになることでしょうか。


辛いことや悲しいことがあった時に、自分だけが苦しんでいるのだと思うと、ひとりで孤独のなかに沈んで泣いていかなければなりません。

しかし、私の悲しみを知っていて寄り添ってくださる仏さまがいらっしゃって、いつでも私とところに「南無阿弥陀仏」とお越しくださる──「まかせよ、救うぞ、安心しろよ」という仏さまの言葉を受け取り、「私はひとりではなかったんだな。悲しみを背負ってくださる仏さまがいらっしゃるんだ」と聞いていくのが、大悲の阿弥陀如来の救いを説く浄土真宗の教えです。

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2017年10月15日