現在、誇りを持って僧侶をつとめることができているのは、さまざまな先生たちのお導きによるものです。
そのうちのひとりが京都で勉強していた時にお世話になった西藤春樹先生です。
中央仏教学院の研究科で勤式を担当しています。
ただ、私は本科のみで研究科に在籍していませんから、学校で講義を受けていたわけではありません。
東京の先輩から「自分が京都でお世話になっていたので、君も色々と教えてもらいなさい」とご紹介していただく形で、勤式のイロハを習うことになりました。
最初は月に1〜2回、西本願寺の近くの法衣店で、勤式の基盤となる発声や正信偈をしっかりと学びました。
「あなたはひとり暮らしですか?」
先生に会って最初に聞かれました。
「はい。賃貸マンションでひとり暮らしをしています」
「そうですか。お仏壇やお内仏はありますか?」
「ありません」
「では、すぐにご安置しましょうね」
後日、ひとり暮らしをしているワンルームマンションに西本願寺から仏さまをお迎えしました。
正直、「西本願寺の近所に住んでるからな~」「どうせ学校で手を合わせるからな〜」「場所をとるな〜」と気が進みませんでした。
とはいえ、ご門徒さんに対して「お仏壇にお参りしましょう」「仏さまをお迎えして手を合わせましょう」と勧める側である僧侶の自宅に御本尊がないのはおかしな話でもあります。
それからは形だけであったかもしれませんが、部屋の仏さまに手を合わせる習慣が身につきました。
今も自分が仕事をする寺務所には仏さまをご安置してあります。
ちなみに──信仰生活は各々ですので、比べ合いをして「ご本尊を置いている人は偉い」「置いていない僧侶はダメだ」という話ではありません。
他にも今も自分の中に生きている西藤先生からの訓示が多くあります。
最近になって、ふと思い出す機会があったので、またご紹介します。