主催している『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の勉強会が開催されました。
ご講師は勧学・内藤知康(ないとうともやす)和上。
和上(わじょう)とは高位の学階を有する先生への敬称です。
『教行信証』とは、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の主著『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』の略称です。
はじめに「総序」があり、続いて教・行・信・証・真仏土・化身土と6巻に分けて詳細に真宗教義が明らかにされ、終わりに後序があります。
本勉強会は今回で第44回を迎えました。いよいよ「信文類(信巻)」に入ります。
信巻の特徴のひとつは「別序」が特別に設けられていることです。
これは「信」がもっとも重要であることを表わしています。
『教行信証』には「三序」があるといわれます。
最初に「全体の序文」がおかれています。これは『教行信証』に限らず、どの書物でもあるものです。
次に「個別の序文」があります。『教行信証』では、「信文類」にのみ「個別の序文」が特別におかれています。
つまり、「信文類」の「別所」とは、「個別の序文」と「特別な序文」と両方の意味があると考えられます。
最後に「後序」です。最後に設けられている序文をさします。
と講義が始まり、今回は「別序」の途中まで学びました。
お聖教の言葉を学ぶのはもちろんのこと、途中で内藤和上が挟んでくださるこぼれ話も楽しみのひとつです。
ちなみに……「後序」という表現がいつごろからされるようになったのか。これはわかりません。
以前、大先輩の先生が「『序』という漢字にはもともと『始め』という意味がある。『最後』に『始め』があるのは変じゃないだろうか。だから私は『後序』という言葉は好きではないので、使いません」とおっしゃっていました。
「なるほど」と話を聞いていましたが、しばらくするとその先生が「『教行信証』の後序」と題した講演をしていました。
理由を聞いてみると「仕方がないから一般の言い方に従った」とのことでした。
「後序」とは本当の意味から言えば「全体の結びの部分」です。
もしも「後序」を使わないのであれば「後述」という言い方もあります。
ちなみに『歎異抄』は「後序」とありますが、「三序」とは言いません。
私は『歎異抄』は「後述」と言うようにしています。
思わずクスっとしてしまうような話や、内藤和上だからこそご存知である裏話、さらに往年の和上たちから先生が直接聞いた話など、40回を超えた現在もまだまだネタが尽きません。
やはり「和上」と敬われる先生は、凄い道を生きている方であると感じます。