信仰生活

西藤先生にお内仏を置くように勧められた話からの派生です。


2年くらい前のことですが、中央仏教学院に通う後輩から「京都で過ごしていたときに何か特別なことはしていましたか」と聞かれ、「特別なことかは分からないけど、先生に勧められて仏さまを自宅に置いていた」と話すことがありました。


「確かに!僧侶の自宅に本尊がないのはおかしい!」と後輩は偉く感銘を受けたらしく、「自分も部屋に置きます」と西本願寺から阿弥陀如来の絵像をお迎えしたそうです。


こういう風に一生懸命に張り切ってしまう人間は、周りの一生懸命でない人を見下したり、しばらくすると息切れをしたりするのですが、彼は大学院に進学して今も仏さまの教えを真面目に勉強しています。


少し前に連絡がありました。

「過去と現代の信仰生活について調べています。先輩の周りの僧侶がどんな生活をしているか教えてください」

「どういうこと?」

「手始めにお寺関係の人たちが家に本尊を置いてるか聞いてみてください」


自分が撒いた種なので、ひとまず築地本願寺の職員の方々に聞いてみました。

すると、面白い結果が出ました。


ひとり暮らしをしている職員は、ほぼ全員が部屋にご本尊を安置していなかったのに対して、家族で暮らしている職員は、ほぼ全員が部屋にご本尊を迎えていたのです。

ここにどういう意味があるのかは、彼の研究の成果に期待です。

前の投稿

次の投稿

2019年01月28日