親と子どもは同い年

昔は「子どもは授かりもの」と言っていました。乳幼児の死亡率が高かった時代には、せっかく授かった赤ちゃんが健康に育つ保証はありませんでした。七歳まで無事に育ち、人間として生きていけるいのちになったことを祝う行事が「七五三」と言われます。

ところが、死亡率が低くなった昨今は、「子どもをつくる」と言うようになりました。
「子どもをつくるか、つくらないかは私たちの自由」などと言う親の声を聞くと、「子どもは粘土細工ではない」と声を上げたくなります。
「つくる」という表現には、「人間の意のままになるもの」といった上から目線が無意識に込められているように思います。なんと傲慢な考えでしょうか。

親の夢や願いを子どもに託し、本人の素質・興味に関係なく勉強やスポーツを押しつけるのも、「わが子は自分たちがつくったものであり、経験も知識も豊富な大人である親がわが子を導くのは当然である」との意識を持っているからでしょう。
確かに実年齢は大人ですが、人は子どもが生まれてはじめて「親」になるのです。実年齢は何歳であろうとも、子どもが一歳ならば、親年齢も一歳の赤ちゃんに過ぎません。
子どもの存在は、「親としての自分のいのちも同じように育まれたいのちである」と、どちらのいのちもかけがえのないものであることを教えてくれます。
親は子どもの年齢とともに、育児経験を積みながら親として成長していきます。「授かり物」の表現には、この「親と子どもは同い年」という謙虚さが感じられます。

とはいえ、親にはある程度の権威がなければならないのも確かです。親に権威がないと、子どもは基準となるものを持って成長していくことができません。その権威とは、親が社会の中で子どものモデルになるような生き方をしていることを言います。

子どもは、親の姿をよく見ています。家の中や職場、外出先などで、親として子どものお手本となるような生き方を心がけていると、子どもはそれを目にして、「お父さん、お母さんのように生きたい」と思うようになります。

そうすれば、子どもに対して親が「あれをやれ」「これをやれ」と過干渉し、強制せずとも、子どもは自主的に目標を見つけて成長していくでしょう。そして、独り立ちしていきます。

〈参考『人生は価値ある一瞬』より〉

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2018年02月01日