以前、こんなニュースを読みました。
有名俳優が海の見える縁側でビールをゴクゴク飲み干す──ビール党にはたまらないそんな“定番”のテレビCMを最近見なくなった。アルコールの広告規制が静かに進んでいるからだ。
日本酒造組合中央会、ビール酒造組合など業界9団体でつくる「飲酒に関する連絡協議会」が昨年7月、広告の自主基準を強化し、〈テレビ広告で喉元を通る「ゴクゴク」等の効果音は使用しない〉〈お酒を飲むシーンについて喉元アップの描写はしない〉という規制を設けた。
自主規制といっても、内閣府のアルコール健康障害対策関係者会議ワーキンググループの会議で「アルコール依存症の人に苦痛を与える」といった指摘がなされ、業界がその指導に従ったものだ。
アルコール依存症の人への配慮として、ビールを美味しそうに飲むCMを規制するということです。
「最近はTwitterやFacebook、InstagramなどたくさんのSNSサイトで友人の近況報告を見るのが楽しみ。
でも仕事に追われて独り身の自分としては、楽しそうに遊んでいる写真や幸せそうな家族写真を見ると少し辛い気持ちになるときもある」
友人たちと食事をしてると、そんな風に話してくれる人がいました。
そういえば、とあるタレントの出産に密着したテレビ番組が放映されたところ、「不妊症の人の気持ちを考えて」「子どもを授かれない人への配慮がない」というクレームがあったといいます。
配慮が必要なのはもちろんですが、どこまで配慮をすればいいのでしょうか。
極論、「健康な芸能人をテレビに出すのは、病気の視聴者に失礼だ」「世界中では亡くなっている人がたくさんいるのに、生きている人を取り上げるとは何事だ」となりかねません。
相手の気持ちを考えたとき、何で傷つき・何で喜ぶのか──本人以外が知ることは不可能です。良かれと思ったことが人を傷つけることはいくらでもあります。
このことを親鸞聖人は「小慈小悲なき身」とおっしゃっています。
あまり気にし出すと、私たちは何も言えなくなり、行動不能となります。
でも、自分が動かないことで悲しい思いを抱える人も出てくるかも知れません。
正解はありません。ひとつだけ言えるのは、私たちはそのつもりがなくても、生きているだけで知らずに人を傷つけてしまうことがたくさんあるということでしょう。
また、裏を返せば私自身も傷ついていかないといけないのがこの世界です。
お釈迦さまは、そんな私たちの世界は「堪忍土(かんにんど)」であるとおっしゃいました。堪え忍んでいかねばならぬ世界であるということです。
仏教で“浄土”が説かれる背景には、そうした世界のありさまがあったのでしょう。
合掌