今年の東京のお盆も最終日となりました。
前回まで、お盆という言葉の意味・お盆という行事の由来・お盆での習わしを確認しましたが、そもそもいつから始まった行事でしょうか。
中国では南朝梁の武帝の時代である538(大同4)年に同泰寺で行われたのが、日本では606(推古14)年の記録が古く、本格的には657(斉明3)年に飛鳥寺で行われたのが最初とされます(『日本書紀』)。
元々は宮中の正式な行事として中国から伝えられたものですが、鎌倉時代になると幕府が行うようになりました。寺院では同じ時期に施餓鬼会が行われるようになったといいます。
現在のようなご先祖さまに対する行事となったのは、江戸時代の人々の間で広まっていた農耕儀礼やそれにまつわる祖霊信仰と結合してからのようです。
しかし、『仏説盂蘭盆経』の成立時期や、盂蘭盆の原義、日本へどのように伝わって広まったのかなど詳しいことは分かっていません。〈参考『プリタニカ国際大百科事典』より〉
お盆は古来よりは7月15日を中心に行われてきましたが、先祖に少しでも長く滞在して欲しいという気持ちから、期日が拡大されていきました。
『南総里見八犬伝』で有名な曲亭馬琴(きょくていばきん)が、1803(享和3)年に編纂した『俳諧歳時記(はいかいさいじき)』に、
7月13日、黄昏に及びて、都鄙(とひ:都と田舎のこと)ともに聖霊を迎ふるの儀あり。此の時、門前において、必ず苧殻(おがら)を折り、焚きてこれを迎え火といふ。16日又これを行ふ、これを送り火といふ。
という記述があることから、江戸時代には7月13~16日にお盆があったことがわかります。他にも7月全体を盆月とみなす場合もあるようです。
ところが、明治時代になると、政府は暦(こよみ)の国際標準化を進めました。江戸時代まで長く日本で使われていた太陰暦(たいいんれき)から、現在の太陽暦(たいようれき)へ変わります。そうして、それまでよりも1ヶ月ほど早い現在の時期にお盆がずれ込んだのです。
東京を中心とする都市部では、新しい暦となった太陽暦に従って7月15日にお盆をつとめるようになったのですが、それ以外の農村部がある地方などでは、ちょうど農繁期にさしかかるため、月遅れの8月15日など旧暦で執り行うのが慣習となりました。
新暦に従った7月のお盆のことを新盆(しんぼん)と呼び、旧暦に従った8月のお盆を旧盆(きゅうぼん)ということもあるようです。
ただ、旧暦は月の満ち欠けによって暦を定めるため、実際に旧暦に従うことになると、8月前半~9月前半までお盆の時期が毎年変わってしまいます。そのため、月遅れの8月15日としているようです。
地域によって行う日が違うということは、結局のところ日時に意味があるのではなく、お盆をおつとめすることが大事ということでしょう。
お盆は先祖に感謝をする日とも考えられています。
他にも感謝を申し上げる日といえば母の日や父の日や敬老の日や勤労感謝の日があります。
では、この日だけ感謝すれば他の日は蔑ろにしていいのかといえば、そうではありません。強制ではないものの、お世話になった人にはたくさんお礼を言うことができたら素晴らしいことです。
しかし、実際のところ365日、毎日のように感謝することなど不可能です。そうであればこそ、年に1度は改めて日を設けて、日頃の感謝を申し上げる……というのが母の日や敬老の日の意義ではないでしょうか。
阿弥陀如来のはたらきによってお浄土へ生まれて仏さまと成られた方々は、お盆に限らずいつでも私たちを護りつづけてくださっています。そういう意味では浄土真宗は毎日がお盆といってもいいかも知れません。
365日、毎日そうした先人に感謝することは難しいです。そんな忙しい日々のなかで、故人のご遺徳を偲びつつ、自らが仏法を聴聞するご縁となるのがお盆であります。
合掌