数珠念珠1

宗派関係なく、お坊さんもそうでない人も用いる仏具があります。


念珠(ねんじゅ)です。一般的には数珠(じゅず)と呼ばれることが多く、仏さまや菩薩さまへお参りするとき手にかけます。
元々、お念仏を称えるときや、真言や陀羅尼(だらに)といった言葉を唱える際に回数を数えるために用いたようです。そのため、「数える珠」と書くのでしょう。


浄土真宗では念仏の数に特にこだわりませんので、念珠と呼びます。


もともとはインドに仏教以前からあった「バラモン教」という宗教で用いられていた道具のようです。


仏教ではいつから使うようになったのか、数珠・念珠のルーツを辿ってみます。


起源はお釈迦さまの時代まで遡ります。
数珠について説かれたお経は『仏説校量数珠功徳経』、『金剛頂経瑜伽中略出念誦経』(金剛智訳)、『曼殊室利呪蔵中校量数珠功徳経』(義淨訳)、『陀羅尼集経』(阿地瞿多訳)、『金剛頂瑜伽念珠経』(不空訳)、『木槵子経』などなど。


例えば善導大師の『観念法門』や源信和尚の『往生要集』に引用されている『仏説木槵子経(ぶっせつもくげんしきょう)』には次のようにあります。


ある時、お釈迦さまが摩訶陀国(まかだこく)の霊鷲山(りょうじゅせん)にいらっしゃいました。
そこへ難陀国の波琉璃王の使いがやってきて言います。


「私たちの国は辺鄙な場所にある小さな国です。食べるもがもなく、疫病も流行して国民はみな困窮しています。なんとかお釈迦さまの教えを通じて安息を得たいと思いますが、仏法の説く真理はあまりにも広大で私たちには受け止めがたいものです。願うことならば、お釈迦さま慈しみの心をもって、仏さまの悟りの肝要に適った私たちでも行えるものを教えていただけませんか」

「わかりました。もし苦しみから脱したいと思うのであれば、木槵子を108個に紐を通したものを常に持ち歩いてください。そして散り乱れた心を鎮めて、『仏・法・僧』の名前を称えましょう。称える度に木槵子を手繰り、それを1、10、100、1000、10000……と続けて20万回も繰り返すと身も心も平穏となるでしょう。さらに100万回を超えるころには、108の煩悩も断ぜられて、無上の悟りを得ることができます」


使いの者は帰って王様にそのことを伝えました。王は大いに喜んで遙か遠くにいるお釈迦さまに礼拝をすると、すぐに木槵子の数珠1000個を用意して配ります。
みんなで一緒に『仏・法・僧』の名前を称えると、国の治安は次第に安定し、王自身も仏道を成ずることができました。


……原文は大体こんな内容かと思います。

ここで出てくる“木槵子”の数珠が、仏教における数珠のルーツと考えられます。
ただ、この木槵子については、


羽根つきの羽根の黒い玉の部分で知られるムクロジ(無患子)の種子とする説と、


モクゲンジ(木欒子)の種子とする説があるようです。恐らく前者ではないでしょうか。〈参考「不思議で楽しい植物の世界」〉


現在でもムクロジで作られた念珠をたまに見ます。
そもそも、ムクロジとはどんな植物なのでしょうか。


ムクロジはムクロジ科の落葉高木です。西日本やアジアの熱帯地域の山地に生息しています。


羽状複葉といって鳥の羽根に似た小さな葉が集まって葉が形成されているのが特徴です。


大きな丸い果実をつけ、この中に黒い大きな種子がひと粒だけ入っています。
この黒い種子が数珠の珠や羽根つきの羽根の玉となるのです。


漢字では無患子と書くことから、「子の患いがない」という名を持つムクロジに先人は子どもの無事を祈った歴史がうかがえます。


例えば、羽根つきの羽根が舞う様子は、病気を媒介する蚊をはじめとした害虫を食べるトンボの姿に見立てられます。
羽根つきはただの遊びではなく子どもたちの無事を祈る魔除けを願ったり、無病息災のための行事でもあったのです。
今でも、女の子の初正月にはお守りとして羽子板を贈る風習があります。


では、どうしてムクロジが無病息災のお守りとなったり、数珠の材料にするようにお釈迦さまは勧められたのでしょうか。


ムクロジは学名を「Sapindus mukurossi」といいます。
前半の「Sapindus」の部分は属名といって、ムクロジ属という植物のグループを示した表記です。


石けんを意味する「Sapo」と、インド産を意味する「Indus」が合わさっていることから、ムクロジが「インドの石けん」であることが分かります。


後半は小種名といって、この植物を表すものです。「mukurossi」は日本語のムクロジに由来しています。
また、ムクロジを英語で「ソープナッツ」、つまり「石けんの実」と呼びます。なんと、ここでも「石けん」を表す言葉が。


ムクロジの実は「サポニン」という成分を含みます。サポニンには界面活性作用があり、水と混ぜると石けんのように泡立つため、ムクロジの実を水に浸しておくと洗剤液が完成。
そのため、日本では奈良時代ころから石けんとして用いられてきました。貴金属を洗うとピカピカにする効果もあるとか。


サポニンには抗菌・殺菌効果があり、ムクロジはこの成分によって病原菌から身を守っています。
なるほど、こう聞くと子どもの健康のためであるとか、煩悩の穢れを洗い流すとかに関連づけられることも頷けます。
中国では「鬼見愁」とも呼ばれ、ムクロジの木で作った棒で巫女が鬼を殺したとの言い伝えがあるそうです。(『植物名実図考長編』)
神社やお寺に植えてあることが多いのも、魔除けの意味合いがあるのかも知れません。

〈参考『なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか』稲垣栄洋〉


ちなみに『仏説木槵子経』はインドではなく中国で生まれたお経と考えられてます。
そのため、インドの原始仏典を依り所とするタイやスリランカ、ミャンマーなどの南伝仏教徒は基本的に数珠を使用しません。また、初期の大乗経典にも数珠は登場しません。


だから数珠を使うのはお釈迦さまの仏教とは違う……という訳ではなく、多くの時代と地域と人を通して様々な形で仏さまのこころが伝わってきたすがたのひとつが数珠ということでしょう。

合掌

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2017年09月27日