アイヒマン

年末に映画を題材にした法話をすることになったため、最近は毎日のように映画を観ています。


『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』(原題: Experimenter)。
「権威者の指示に従う人間の心理状況」を明らかにするために実地された世界で最も有名な心理実験と、実験をしたスタンレー・ミルグラム教授を描いた実話を映画化したものです。


この実験が行われた背景には、アドルフ・アイヒマンの存在があります。
アイヒマンは第二次世界大戦中に東ヨーロッパ地域のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者でした。その数は数百万人にものぼるといいます。


戦後、逃亡生活を続けていたアイヒマンは捕まってイスラエルで裁判にかけられます。この裁判は通称「アイヒマン裁判」ともよばれ、映像が世界中に配信されました。


このときまで、誰もが「ユダヤ人虐殺の責任者であるアイヒマンは人格異常者であるに違いない」と思っていたそうです。


しかし、裁判の過程で描き出されたアイヒマンの人間像は、どこまでも「普通の人」だったといいます。


この事実を受けて、「アイヒマンをはじめとした多くの戦争犯罪に関わった人びとは、特殊な人物だったのか。それとも普通の人であっても、命令されれば残虐行為を犯すのか」という疑問が生まれました。


そこでアメリカの心理学者であるスタンリー・ミルグラムは、裁判直後から実験をはじめます。


実験の結果──普通の人であっても、一定の条件下では残虐行為を行うことが証明されました。(異論も多くあります)


実験の内容は次の通りです。

まず、「勉強しているときに罰を与えるのは効果があるのか」と説明して、実験協力者を「生徒」と「教師」の役に分けます。
くじ引きで決めるのですが、募集した実験協力者はすべて教師役になるようにインチキがされてあります。生徒役は全員サクラです。


次に教師と生徒は別々の部屋に分けられ、マイクを通じて教師が生徒に問題を出します。
生徒が問題に間違えたら罰として電流が流れるスイッチを教師が押します。
その際に問題を間違えるたびに電圧を高くするように主催者から指示があります。


教師が電流を流すと、スピーカー越しに生徒の苦しみ声が聞こえる仕組みになっています。
しかし、ネタばらしをすると実際は生徒役に電流は流れていません。スピーカーから流れる声は事前に録音された声です。
この声は教師役が流す電流の電圧によって次のように内容が変わります。

①75ボルト→不快感をつぶやく
②120ボルト→大声で苦痛を訴える
③135ボルト→うめき声をあげる
④150ボルト→絶叫する
⑤180ボルト→「痛くてたまらない」と叫ぶ
⑥270ボルト→苦悶の金切声を上げる
⑦300ボルト→壁を叩いて実験中止を求める
⑧315ボルト→壁を叩いて実験を降りると叫ぶ
⑨330ボルト→無反応になる


教師役が実験をやめようとした時に、いかにも偉そうな先生が「続けてください」と告げます。


さて、このときに何も知らない教師役の被験者は実験をやめたでしょうか?


こうして聞かされている人は多くがやめると考えますが、実際の現場は違いました。40人中25人(2/3)がさらに高い電圧の電流を流したといいます。


実験の詳細は実験者であるミルグラム博士の著書『服従の心理』をご参考ください。
非常に悪趣味な実験ですが、この実験を通じて「私たちは権威に命じられると(そして責任を取らなくていいと保証されると)、葛藤やストレスを無視して人を傷つけることができる」ことが明らかになりました。


映画のタイトルである『アイヒマンの後継者』は誰かというと、見ている人自身というオチです。誰もがアイヒマンになる可能性を秘めています。


この映画を一緒に観ていた友人は「自分だったら実験を途中でやめると思う」と言っていました。もちろん、自分もそう思いました。
恐らく、この記事を読んだ人もそう思うでしょう。


人間は「何が善か、何が悪か」を知った時点で自分を善人側であると錯覚してしまうようです。
悪の自覚がない人間が最も危ないということは以前も触れましたが、親鸞聖人はさらに踏み込んで、

無慚無愧(むざんむぎ)のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまふ

と詠われています。
自分自身には悪を自覚して罪を恥じる心はないというお示しです。
救いのうえにご自身をそのようにご覧となったのは、非常に深い思し召しではないでしょうか。

合掌

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2017年12月01日