「釋○○」という名告りが仏さまの弟子を意味するようになったのは、中国仏教の基礎を築いた出家僧「道安(314~385)」が起源とされます。
中国には、紀元前後にインドから仏教が伝播しました。道安以前は出家者が善知識(師匠)から名前をいただく場合、名前の上に善知識の「姓」を付けることが多くありました。
しかもその「姓」は出身地を意味することがほとんどであったようです。
例えば、道安の師匠は「仏図澄」という僧侶です。仏図澄の出身は亀茲国のため、姓は「白」であったようですが、インドで仏教の修行をしていたこともあって、「竺仏図澄」という記載も伝えられています。
仏図澄は鳩摩羅什などに代表する翻訳僧(経典の翻訳に従事)ではなく、渡来僧として中国の仏教繁栄に尽力しました。
建立したお寺は893ヶ寺、弟子は1万人いたといいます。
仏図澄の弟子たち多くは「竺○○」というように「竺(インド)」の一字をもって「姓」としました(泰山の竺僧朗、四川に仏教を広めた竺法和、東晋で活躍した竺法汰)。
中国の僧侶では他に「支(大月氏・中央アジア)」「安(パルチア・古代インド)」「康(サマルカンド)」といった姓が代表的です。
ところが、道安は「竺」をもって名告らず、「釋道安」と名告ったのです。
それは「大師のもとは釈迦[牟尼仏]より尊きはない」という理由からでした。
つまり具体的な師匠である「善知識(仏図澄)の弟子である」という自覚以上に、「その善知識が帰依するお釈迦さま(釈尊)の弟子である」という自覚から「釋道安」と名告ったのです。
この「釋」をもって「釋氏(仏教徒)」であることを名告る習慣が中国で広まり、日本でも継承されることになりました。
ちなみに、この自覚は浄土真宗でも大切にされています。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は「弟子一人ももたず候ふ」とおっしゃっていたと伝えられています(『歎異抄』)。
聖人にとっては、念仏を申す者はすべて「自分の弟子」ではなく、「お釈迦さまの弟子である」ということです。
合掌