仏教と花の関係は、仏教の生まれたインドから始まっています。
仏に花を供ふべし 草木を植え庭を掃除し
水を運び石を移すべし をりをり足に灸すべし
江戸後期の禅僧・良寛和尚の自戒の句です。自らを戒める言葉として、仏さまに花を供えることを最初に挙げています。
仏さまに花(仏華|ぶっか)を供える行為を「供花(くげ)」といいます。
しかし「仏華」という言葉は一部の仏教辞典を除いて、代表的な辞書としてしられる『広辞苑』にその項目はなく、史料にもほとんどありません。
一方、「供花」は源信僧都(げんしんそうず)の作と伝えられる『来迎和讃』の中に
管弦歌舞(かんげんかぶ)の菩薩は 雲に袖をひるがえし
持幡供花(じばんくげ)の荘厳(しょうごん)は 風にまかせて乱れたり
とあります。
この他にも史料に多出していることから、「供花」という言葉の方が一般的に用いられてきたようです。
仏教にもっとも関係の深い花といえば、「蓮華」ではないでしょうか。
仏さまの多くは「蓮台」の上に安置されています。
極楽浄土を描いた絵画には美しい蓮の花が咲き乱れて描かれています。
インドでは仏教以前から神々の像の台座に「蓮華」が用いられていました。
2~3世紀頃から仏像崇拝が盛んになるにつれて、「蓮華」は仏像にも用いられるようになります。
蓮はインド原産とされ、日本に渡来した植物の中でも、もっとも古い植物のひとつといわれています。
また、葉の形は心臓に似ているので古くから生命の象徴とされてきました。
今もインドでは、結婚式や祭礼に必ず「蓮華」が飾られます。他にも名誉ある最高の称号は「パドマ・ブーシャナ」(蓮華の装飾)と呼ばれています。
「蓮華」がもつこのようなイメージは仏教に取り入れられ、経典の中に「蓮華」がたくさん出てくるようになりました。
『仏説阿弥陀経』には
池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり。【参考】
とあります。
このたとえは「人それぞれの持ち味で精一杯に生きること」を表わしていて、現代の私たちにも通じるのではないでしょうか。
合掌