『阿弥陀経』を読む22

★正宗分ー依正段「七宝蓮池」④

また舎利弗、極楽国土には七宝(しっぽう)の池あり。八功徳水(はっくどくすい)そのなかに充満(じゅうまん)せり。池の底にはもつぱら金(こがね)の沙(いさご)をもつて地(じ)に布(し)けり。四辺の階道(かいどう)は、金(こん)・銀(ごん)・瑠(るり)・玻璃(はり)合成(ごうじょう)せり。上に楼閣(ろうかく)あり。また金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼(めのう)をもつて、これを厳飾(ごんじき)す。池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色(しょうしき)には青光(しょうこう)、黄色(おうしき)には黄光(おうこう)、赤色(しゃくしき)には赤光(しゃっこう)、白色(びゃくしき)には白光(びゃっこう)ありて、微妙(みみょう)香潔(こうけつ)なり。
また舎利弗よ、極楽世界には七つの宝でできた池があって、不可思議な力を持った水がなみなみとたたえられています。池の底には一面に黄金の砂が敷き詰められ、また四方には金・銀・瑠璃・水晶でできた階段があります。岸の上には楼閣(背の高い重層の建物)があって、それもまた金・銀・瑠璃・水晶・硨磲(白珊瑚)・赤真珠・碼碯で美しく飾られています。また池の中には車輪のように大きな蓮の花が咲いていて、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかです。

先生|極楽の池は、蓮池であることも忘れてはいけないね。


阿弥|へぇ、蓮が咲いているんですね。

先生|実は「蓮」は仏教と深い関わりを持つ植物なんだよ。


阿弥|えっ、そうなんですか?


先生|蓮は古くから神聖な存在とされているんだ。
   例えば仏像は蓮華座や蓮台と呼ばれる蓮の花の台座にいらっしゃるし、蓮の花を挿した水差しを持った仏像もあるからね。


阿弥|そういえば蓮の形をした砂糖菓子のお供え物を見たことあります。

先生|蓮は仏教にとって大切な植物なんだよ。


阿弥|花が綺麗だからですか?

先生|それだけではなくて、蓮は泥の中に生まれるにも関わらず、清らかで美しい花を咲かせるでしょ。
   しかも、決して泥に染まることはないんだ。

阿弥|「蓮は泥より出でて泥に染まらず」って言葉がありますね。でもそれが仏教とどんな関係が?

先生|「煩悩(泥)から解脱して悟り(花)を開く」仏法のシンボルとされているんだよ。


阿弥|なるほど、上手な譬えですね。

先生|『妙法蓮華経(法華経)』という名前のお経もあるし、仏さまの世界を「蓮華蔵世界」と示した『華厳経』というお経もあるくらいだからね。

阿弥|お釈迦さま自身が使っている表現なんですか。

先生|中国の曇鸞大師(どんらんだいし)

「淤泥華」といふは、『経』(維摩経)に、「高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にすなはち蓮華を生ず」とのたまへり。これは凡夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の正覚の華を生ずるに喩ふ。
淤泥華とは、お経の中に「きれいに整地された陸地に蓮華は生じないが、湿った汚い泥の中には蓮華が生ずる」と説かれています。これは、凡夫が煩悩の中にあって菩薩に導かれて、よく仏さまのさとりの華を咲かせることに喩えています。

と教えてくださっているよ。


阿弥|仏教徒って蓮が好きなんですね。

先生|日本人が桜を好んで、西洋の人が薔薇を愛するのと同じように、インドでは昔から蓮が重んじられていて、現在も国花とされているくらいだからね。

阿弥|どうしてインドの人は蓮が好きなんですかね?

先生|暑い国であるインドでは、蓮が咲くような涼しい水辺が理想の場所だったんだろうなぁ。


阿弥|だから、その水面に咲いている綺麗な蓮の花に憧れて神聖視したのかもしれませんね。

先生|実際にインドの神話に登場する神様も、「蓮の上に座っている」と記述があるよ。

阿弥|植物にも様々な意味づけがされているんですね。

先生|『阿弥陀経』に説かれている阿弥陀如来という仏さまは、煩悩まみれの泥凡夫である私の上に救いの花を咲かせる仏さまであると味わえるね。


阿弥|私が泥で、そこに蓮の花が咲くんですか……。

先生|もうひとつ、阿弥陀如来の救いにあずかる人そのものを蓮の花に譬えることもあるよ。

阿弥|あ、そうなんですか。

先生|浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は

仏言広大勝解者 是人名分陀利華
(ぶつ)、広大勝解(こうだいしょうげ)のひととのたまへり。この人を分陀利華(ふんだりけ)と名づく。

とおっしゃっているよ。


阿弥|どういう意味ですか?

先生|広大無辺な仏さまの徳(広大勝)をよくわかった(解)人を「素晴らしい人である(分陀利華)」と仏さまが讃(ほ)め嘆(たた)えてくださっている……くらいの意味かな。

阿弥|フンダリケ?


先生|サンスクリット(古代インド)語の「puṇḍarīka(プンダリーカ)の音訳語で、「白蓮華(びゃくれんげ)を意味しているよ。

阿弥|「白い蓮の花」が褒め言葉なんですか? 仏さまのセンスって独特ですね……。

先生|「白蓮華」は蓮華の中で最も高貴なもので、仏さまや真実の教えの譬えとして用いられる言葉なんだ。
   「煩悩の中にあって、しかも煩悩を超える極楽への道を阿弥陀如来から賜った人」をお釈迦さまはそれほどまでに讃め嘆えてくださっているんだね。


阿弥|そんなに褒められたら照れますね~。
   でも仏さまの言うことを聞くだけで、そんなに褒めてもらえるんですか?

先生|それほどまでに阿弥陀如来の教えが素晴らしいことを表わしているのと同時に、その教えを聞くことや出遇うことの難しさを表わしているんだろうね。
   他にも中国の善導大師は「妙好人(みょうこうにん)と表現していて、後に阿弥陀如来の教えを慶ぶ篤信の人をさす言葉となったんだ。


阿弥|……あっ、気がついたら蓮の花が極楽の池に咲いている話から離れてしまいましたね。

先生|もちろん【池中蓮華(ちちゅうれんげ)と今の私たちは関係しているよ。

阿弥|というと?

先生|善導大師の再誕といわれる法照禅師(ほっしょうぜんじ)

この界に一人、仏の名(みな)を念ずれば、西方にすなはち一つの蓮(はちす)ありて生ず。
信心の人がひとりお念仏を称えれば、極楽浄土に蓮華がひとつ花を開きます。

とおっしゃっているよ。


阿弥|つまり、極楽の池に咲く蓮の花と私はどんな関係があるんですか?

先生|今の私が阿弥陀如来のすくいにあずかって極楽に生まれることが決まったときに、私が生まれていく蓮の花が極楽の池に咲いていくんだね。

阿弥|極楽での私の指定席が準備されているんですね!

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2019年01月27日