『阿弥陀経』を読む23

★正宗分ー依正段「七宝蓮池」⑤

また舎利弗、極楽国土には七宝(しっぽう)の池あり。八功徳水(はっくどくすい)そのなかに充満(じゅうまん)せり。池の底にはもつぱら金(こがね)の沙(いさご)をもつて地(じ)に布(し)けり。四辺の階道(かいどう)は、金(こん)・銀(ごん)・瑠(るり)・玻璃(はり)合成(ごうじょう)せり。上に楼閣(ろうかく)あり。また金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼(めのう)をもつて、これを厳飾(ごんじき)す。池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。青色(しょうしき)には青光(しょうこう)、黄色(おうしき)には黄光(おうこう)、赤色(しゃくしき)には赤光(しゃっこう)、白色(びゃくしき)には白光(びゃっこう)ありて、微妙(みみょう)香潔(こうけつ)なり。
また舎利弗よ、極楽世界には七つの宝でできた池があって、不可思議な力を持った水がなみなみとたたえられています。池の底には一面に黄金の砂が敷き詰められ、また四方には金・銀・瑠璃・水晶でできた階段があります。岸の上には楼閣(背の高い重層の建物)があって、それもまた金・銀・瑠璃・水晶・硨磲(白珊瑚)・赤真珠・碼碯で美しく飾られています。また池の中には車輪のように大きな蓮の花が咲いていて、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかです。

阿弥|【池のなかの蓮華は、大きさ車輪のごとし。】と説かれています。

先生|実際にインドの池には、車輪ほど大きな蓮華があるそうだよ。


阿弥|ちゃんと根拠のある描写なんですね。


先生|大きさだけでなく青色、黄色、赤色、白色と色とりどりの蓮の花が咲いているんだ。

阿弥|カラフルですね~

先生|日本だと単に「青い蓮」「黄色い蓮」と呼ぶけど、インドではそれぞれ

◇青蓮華・・・utpala(ウトパラ)/ 優鉢羅華(うはらけ)
◇黄蓮華・・・kumuda(クムダ)/ 拘物頭華(くもずけ)
◇紅蓮華・・・padma(パドマ)/ 鉢曇摩華(はどんまけ)
◇白蓮華・・・puṇḍarīka(プンダリーカ)/ 分陀利華(ふんだりけ)

と固有の名前があるよ。


阿弥|細分化されているということは、それだけ蓮が重んじられていたんですね。

先生|それだけでなく、【青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光】……つまり、「青い蓮は青い光を放ち、黄色い蓮は黄色い光を放ち、赤い蓮は赤い光を放ち、白い蓮は白い光を放っている」と説かれているよ。

阿弥|青い蓮が青かったり、黄色い蓮が黄色かったりするのは当たり前のことじゃないですか?

先生|この描写は、「極楽という世界ではすべてのものが光り輝いている」ということを表わしているんだ。


阿弥|イルミネーションみたいですね。

先生|小さいものも、大きいものも、みんなともに光っていて、それぞれがお互いに照らし合っているんだね。

阿弥|うーん、なんだか漠然としていますね。

先生|極楽浄土は、すべてのいのちが個性のままに輝いて認め合う、競争や差別を超えた平和な世界ということなんだけど……。


阿弥|それが【青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光】なんですか?

先生|人間の世界は青い花が白い光を放とうとしたり、黄色い花が赤い光を放とうとする生き方ばかりじゃないかな。

阿弥|自分の色とは違う色で光ることがいけないことですかね。

先生|例えば……青が「若」、白が「老」を表わすと、極楽は「若い人は若いままで光輝いている、老人は老人のままで輝いている」となるね。


阿弥|私たちは違うんですか?

先生|青いものが白く光るということは、若い人が大人っぽく振る舞うということだから──子どもが大人を真似て煙草を吸ったり、お酒を飲んだりするようなものかな。

阿弥|私も小さい頃は親の化粧品を勝手に使ったりしました。
   大人への憧れとか、本当の自分に自信が無いことの裏返しですかね。

先生|もっと分かりやすいのは、その反対かな。


阿弥|年配の人が若作りをするってことですか?

先生|私も自分を少しでも若く見せようと努力しているからね……。

阿弥|せ、先生は若いですから大丈夫ですよ。

先生|……お世辞だと分かっていても喜んでしまう自分が悲しいよ。


阿弥|そうすると、私たちは「青色白光」だったり「白色青光」だったりしますね。

先生|一般的には「若くて健康で長生きの人」が輝いていると考えるのが私たちじゃないかな。
   でもそれはいつか必ず裏切られるんだ。

阿弥|人間である以上、老化や病気、死は避けられませんからね……。

先生|学校でも会社でも、優等生は輝いているけど、劣等生は輝いていないと考えるから、劣等生には優等生の輝きを求めるようになるからなぁ。


阿弥|輝いている人と輝いていない人がいるのが私たちの世界なんですね。
   それぞれの持つ本来の色(個性)とは違う色で輝かなければいけないのは、つらいものがありますね。

先生|金子みすゞさんの詩に

みんなちがって、みんないい。

とあるのは、お経の【青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光】に通じるものがあるかもね。

阿弥|『世界に一つだけの花』や童謡の『チューリップ』も似てますね。
   本当はみんな違った個性があって、持ち味がありますもんね。

先生|「役に立つ / 立たない」「好き / 嫌い」「良い / 悪い」の価値観を超えた世界が極楽であることを表わしていたんだね。
   極楽はそれぞれの個性が、それぞれの個性のままに輝いていける世界なんだ。


阿弥|素晴らしい世界ですけど、同時に私たちの世界はそうではないことが知らされます……。

先生|極楽の荘厳を知ることで、今の私たちの生き方が反省させられるね。
   仏さまの世界は、私たちの姿をありのままに映す「法の鏡」でもあるんだ。

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2019年02月03日