甲斐和里子

浄土真宗は阿弥陀仏という仏さまの救いを説く教えです。
阿弥陀仏について詳しく明らかにされた『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』というお経があります。
阿弥陀仏が仏となる前に出家して成仏するまでの過程を物語の形で示すことで、阿弥陀仏がどのような仏さまなのかを私たちに教えてくださっています。


はるか昔、ひとりの国王が世自在王仏の説法を聞いて、出家して法蔵(ほうぞう)と名乗りました。


生きとし生けるものを救うために、法蔵は五劫の思惟を経て、48の誓願を建立。その大いなる願いを成就するために兆載永劫(ちょうさいようごう)という途方もなく永い修行をされました。ちなみにここまでを「弥陀成仏の因」といいます。


永遠にも感じられる修行の末、48の誓願を完璧に成就された法蔵菩薩は、この娑婆世界から西方十万億の国土を過ぎたところに浄土を建立しました。
それは今からおよそ十劫の昔のことであり、今現に阿弥陀仏は西方の浄土から衆生救済の活動を続けられています。これを「弥陀成仏の果」といいます。

この教説は歴史的な事実というよりも、「阿弥陀仏がどのような仏であるのか。またその仏さまのさとりの内容はどのようなさとりであるのか。そして阿弥陀仏の衆生救済とはどのようなものであるのか」を示すところに眼目があります。

阿弥陀仏は「目に見える形」や「手で触れられる姿」ではなく、「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」の名号(みょうごう)という言葉となって私を救う仏さまとなってくださいました。


阿弥陀仏の48の願いの根本には「あらゆるものを南無阿弥陀仏を信じて聞く身に育て、お念仏を称える身に仕上げ、お浄土へ生まれさせる仏になる」という本願(ほんがん)があります。


願っただけでは意味がないので、兆載永劫の修行によって、しっかりと願いの通りに完成したのが、すべてのものを救う力を持った南無阿弥陀仏の名号です。


しかし、この名号が完成しても私が受け取らなければいけません。私が名号によって救われることに頷く姿を信心(しんじん)といいます。


そして、本願が成就して完成した名号は、私に至り届いて信心となるだけではなく、私の口から「なんまんだぶ」と溢れ出る念仏となります。


本願→名号→信心→念仏と言葉は違いますが、結局は阿弥陀仏のさとりです。私たちの認識を超えた「さとり」そのものが、さとりに背いて迷いの世界に沈んでいるものを導くために、あえて具体的な形あるものとして現れ出てきたということです。


小学生の時の自由研究で稱名寺の近所を流れている神田川がどこから流れているのか調べたことがあります。


その始まりは井の頭池でした。なんと三鷹市まで遡ります。


井の頭池から東へ流れて神田川となって、両国橋で隅田川と合流します。そして東京湾から太平洋へ……。


井の頭池→神田川→隅田川→東京湾と形や名前は変わっていますが、流れているものは同じ水です。


同じように本願→名号→信心→念仏も、名前は違いますが流れているものは阿弥陀仏のさとりそのものです。
つまり、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と称えて聞こえているお念仏が、仏さまそのものです。このことを次のように味わわれた人がいます。

み仏の 御名(みな)を称(とな)ふる わが声は
わが声ながら 尊かりけり

甲斐和里子師(1862-1962)は、明治時代に「仏教主義の学校が京都にひとつもないのは、まことに申し訳ない」との思いから、いち早く顕道女学校を、そして文中女学校を創設されました。
女子教育に専念され、現在の京都女子学園の基礎を築き、日本の女子教育に大きな足跡を残しています。非常に優れた教育者として有名です。


父親は浄土真宗本願寺派の宗学者である足利義山(あしかがぎざん)師。甲斐和里子師は仏法の香る家庭のなかで育った篤信の方であったといいます。


教育の現場から離れた後の法味愛楽(ほうみあいぎょう)の日々を綴った『草かご』という著書があります。89歳のときの一文を紹介します。

私の口について申しあげます。もとより総入れ歯で妙な口でございますが、その妙な口からお念仏がお出ましくださいます。
いかなる大善功徳(だいぜんくどく)よりも一声のお念仏の方がより尊いと聞かしていただいておりますが、さほど尊いお念仏が、ややもすれば人をそしったり、要らぬことを言いちらしたりする下品な下品な私の口から、昼でも夜でも、またこれを書いているただ今でもドンドン御出ましくださるということは誠に不可思議千万で、勿体のうてたまりません。
殊に人なき林の中などで声をたててお念仏していると、なんだか御浄土の如来様と御話をしているように感ぜられだして泣けてくるときがございます。

み仏の 御名を称ふるわが声は
わが声ながら 尊かりけり

私の父(足利義山)はじめ、数々の御同行さん方が、心臓麻痺や脳溢血で一声のお念仏も称えずに往生せられたことを見聞し、何となく本意なく思いつづけて居た私が突然重い胆石病にかかり、呼吸も苦しうなって来た時「サアやがて往生じゃ、ここでひとつ大声でお念仏して周囲の人々に安心して貰うてから眼を閉じましょう……」と思いたち、それこそほんまに命がけで努力して見たが遂に不可能であった。
再び全快するほどの精力であってさへ右のごとくあったから、他日いよいよの時、私は遂に一声のお念仏もよう称えずに往生させていただくかも知れん。
されば父はじめその他の学者さんや御同行さんたちもあるいはそうであられたのかも知れん。
そうとすればさぞやハガヤクおぼしつつ御往生なされたであろうなど思われだして、30年以前の其の胆石病以来一層ありがたくお念仏させていただかれるようになりました。
無学な老人の私でも何の努力も要らず、安らかに安らかに称えさせていただかれる此の南無阿弥陀仏さまのあらせられることのありがたさ嬉しさは、いくら書いても際限がございませんからもうやめますが皆さまお互いに精出してお念仏して、一切有情に仏縁を結ばせてあげましょうではございませんか。

法話一覧

2018年01月07日