一昨年の9月、去年の2月と10月に開催した青年僧侶の研修会。
今日は第4回目。私が研修企画の部署に所属している最後の開催です。
講題は「布教の実践と心得」。講師は西本願寺の「子ども・若者ご縁づくり」という活動に携わっている福岡県の松月先生です。
全国を飛び回る凄腕布教使として宗門内で知らない人はいないでしょう。最初にこんな話から始まりました。
私は実はお寺生まれではございません。生まれは広島で、祖母が非常にありがたい御同行でした。小さいときから私を仏さまのご縁に遇わせてくださいました。所属しているお寺の若住職が龍谷大学を卒業してお寺に戻ってくると、日曜学校をはじめられたんです。
その日曜学校に通うようになると、その若住職がかっこよかったんですよ。むちゃくちゃかっこよかったんです。
「かっこいいな~。なんであんなにかっこいいんだろうか」
姿がかっこよかったのではなくて、存在がかっこよかったんです。
それが実は私を仏さまの教えを聞く身にする大きなきっかけとなりました。
最近になって気がついたんですが、この「かっこいいお坊さん」というのが必要なんじゃないかと思うんです。別にイケメンじゃないといけないとか、スタイルが良くないといけないとか、そんな意味でのかっこよさではありません。存在がかっこいいのです。
それは衣を着ていても脱いでいても「生きる姿」が活気づいていて、何か違うよなと感じさせるのが「かっこよさ」ではないでしょうか。
法蔵菩薩が国王の時に世自在王仏の元でお聴聞をされました。恐らくですが、今の言葉ですと「かっこえ~」と思われたに違いありません。「あんな仏さまになってみたい!」と思われたのが発願(ほつがん)ではないでしょうか。それから王位を捨てて出家までなさいました。
だから「かっこよさ」が人の人生や在り方を変えていくということが大いにありえるんじゃないでしょうか。
これを私たちの先輩は身体の動きや行為によって法を伝えていく“身業説法(しんごうせっぽう)”と表現しています。
私自身も色んな仲間に会いますが、「かっこいいお坊さん」いますね。そういう人をめざしますよ。そうなりたいと思う。
実はそれが何かしら法を伝える時の1番の要点じゃないでしょうか。
世自在王仏さまはかっこよくて、出家して法蔵菩薩さまと名乗られたと私たちはお経の言葉を聞かせていただいているのですから……私たちも「かっこいいお坊さん」になりましょう。
私にとって「かっこいいお坊さん」である松月先生の講義を聞けて、非常に刺激を受けました。
今回は副部長の西原さんに企画をほとんど投げてしまいました。
これで教化部長として2年間の役目が終了。
元から勉強会を計画したり、いろいろな先生の講義を聞くことが趣味だったので、「研修会の企画と開催」という自分に適した仕事を振って好き勝手やらせてくださった先輩方には感謝しかありません。
また、副部長を中心に未熟な自分を支えてくださった部員の皆さまにも大変お世話になり、ありがとうございます。
合掌