裸で生まれて 裸で死んでいくのが 人間

「自分は学歴も、地位もない」と嘆く人がいます。しかし、それがどうしたというのでしょう。

もちろん、相手をそういう一面で判断するところがあるのは否定しません。特に日本人の場合、職業や仕事を通じた人間関係が人づきあいの大半を占めるため、仕事の役に立つかどうかで人間の価値を判断し、交流もそれがベースになりがちです。

仕事をするうえでは、そうしたつきあいも必要かもしれません。しかし、定年退職するとそのつきあいが急に途切れてしまうため、寂しい思いをします。

人間はオギャーと生まれたときは、文字どおり裸です。何も身につけずに、お母さんのお腹の中から生まれてきます。
生きている間に、努力して出世し、お金を儲け、多くの財産を手にしたとしても、死ぬときはそれらを置いて死なねばなりません。生まれてきたときと同様、死ぬときも裸で死んでいくほかないのです。

学歴、地位、肩書きなど、後から不随したものによる人間の違いにとらわれてしまう意識は、結局、虚しさを生むだけなのです。
後から付随したものの違いを嘆いて、「私はこういう人間です」と自分で自分を狭く決めつけるのは、非常にもったいないことです。
自分では気づいていないだけで、人間は誰しもが目には見えない可能性をたくさん持っています。

それも含めて自分という人間のすべてだと思えれば、人生には可能性がたくさんあることに気づけるのではないでしょうか。

〈参考『人生は価値ある一瞬』より〉

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2018年06月01日