〈『歎異抄(たんにしょう)』第13条より〉
(人は誰でも「しかるべき縁」がはたらけば、どのような行いもするものである)
わが子が犯罪を起こしたときに、親は口をそろえて「まさかあの子にかぎって、そんなことをするはずがない」と否定します。信じられない気持ちでいっぱいなのでしょう。
わが子だけにかぎりません。会社でお金の使い込みが発覚すると、「あのまじめな人にかぎって、そんなことするとは信じられない」と上司も同僚も驚いたりします。
しかし、驚くことではありません。人間は誰しも、いくつかの条件がそろえば、犯罪を起こしかねない危うい存在なのです。
こう書くと、多くの人は「いや、私にかぎって絶対にそんなことをするはずがない」と思うでしょう。
しかし、犯罪へと追い込まれるいくつかの条件が重なると、事件を起こさない保証は誰にもないのです。たとえば、新聞やテレビなどで、犯行の動機として、よく「お金が欲しかったから」と報道されます。
単にお金が欲しい人なら、世の中にごまんといる中で、その犯人なぜ一線を越えて犯行に及んだのか。もともと悪い人だったのか。他の人はいい人だから罪を犯さないのか。決してそういう単純な話ではありません。
犯人には、犯行に手を染めざるをえない、何か特別な事情があるはずです。ギャンブルにのめり込んでお金に困っていた、知人の借金の保証人になって返済に追われていた、失業して生活費がなかった、などなど。
これまで罪を犯さずに生きてこられた人は、たまたま犯行に駆り立てられる条件のひとつが欠けていただけにすぎません。
「もし追い詰められたら自分もどうなるか分からない」という自覚を、常に心の中に持って生きていくことが大切です。
そして、お金に困っているなど、犯罪へのいくつかの条件が重なりそうになったときには、それを隠さずに、両親など信頼できる人に一刻も早く相談するのがよいと思います。組織の中であれば、上司や同僚に打ち明けて、対処方法を早急に考えることです。
火種が小さなうちに相談して対処しておけば、大きな事件にならずに済みます。
それを隠してウソにウソを重ねるから、最後に収拾がつかなくなって犯罪に走るわけで、日ごろ親身になって相談できる人間関係や場を持っておくよう努力したいものです。
〈参考『人生は価値ある一瞬』より〉