浄土三部経

本来であれば、本日は稱名寺の永代経法要を執り行う予定でした。


中止なので参拝者はいませんが、法話は無理でも読経は可能です。


ということで、久しぶりに「浄土三部経」の完全版をひとりで読誦しました。


「浄土三部経」とは、「八万四千」あるといわれるお釈迦さまのお経の中で、私たち浄土真宗が依りどころとしている『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の三つの経典をさします。


親鸞聖人の師匠である法然聖人が『選択本願念仏集』「二門章」で次のように述べています。

初めに正しく往生浄土を明かす教といふは、いはく三経一論これなり。「三経」とは、一には『無量寿経』、二には『観無量寿経』、三には『阿弥陀経』なり。「一論」とは、天親の『往生論』(浄土論)これなり。あるいはこの三経を指して浄土の三部経と号す。


普段から細かく区切った勤行聖典「浄土三部経」を毎朝の勤行で読んだり、抜粋されている仏事勤行「浄土三部経」を法事で読んだりはしていますが、完全版「浄土三部経」を一気に読む機会は少ないです。お恥ずかしい限りです。


実際に読み始めると、普段から読んでいることもあって意外にスラスラ読めました。

しかし、さすがに長いので段々とスピードが落ちて、読み終えるまでに4時間以上かかってしまいました。


三部経といえば、親鸞聖人には三部経を千回読誦しようとした「寛喜の内省」と呼ばれる有名な逸話があります。

1231(寛喜3)年4月14日(実際には4月4日)の正午ころから、親鸞聖人(当時59歳)は風邪をひいて高熱を出し、頭痛もひどい様子でした。

寝込んで4日後(実際には8日後、4月11日)の明け方、聖人は苦しそうななかで

「まはさてあらん」

とおっしゃいました。

「うわごとを仰せですか?」

と妻の恵信尼さまは、詳細を尋ねます。

「寝込んで2日目から、『無量寿経』を絶え間なく頭の中で読んでいました。目を閉じると、経典の文字が光り輝いて見えました。不思議なことです。南無阿弥陀仏の念仏によって浄土に往生すると疑いなく信じる以外に、私はいったい何が気がかりなのだろうか……。

そういえば今から17~8年前に困っている人びとを救おうと、浄土三部経を千回読もうとしたことがありました

他力に帰依して30年、それでもなお自力の心が残っていたのかと、聖人は苦悩されていた……といった文脈で、この話がよく紹介されます。

三部経の千回読誦を始めた親鸞聖人(42歳)は「4~5日ほど読んで、思い直してやめた」と恵信尼さまがお手紙で教えてくださっていますが、実際に三部経を千回読んだらどのくらいかかるのでしょうか?


三部経の総文字数は約26,700文字です。恐らく、親鸞聖人であれば、ほとんど暗記していたはず。

『仏説阿弥陀経』が約1850字で、ほぼ暗記している私が最速で読むと10分弱です。

単純計算すると26,700÷1850×10……ということで、1回の三部経読誦のスピードは約2時間20分(144分)くらいでしょうか。

もし1000回読むとしたら、144,000分……つまり2400時間ですから、読むだけで100日はかかります。食事や睡眠時間なども考慮すれば、間違いなく150日以上はかかるでしょう。

阿弥陀仏の他力に帰依していたものの、自らのさとりのため(自利)に、衆生救済をする(利他)ことが骨の髄まで染みこんでいたのかもしれません。


でももしかしたら当時、聖人はまだ4歳の小さな子ども(信蓮房)もいたので、「読み始めたのはいいものの、さすがに1000回はやりすぎだな……30回くらいでやめとこ」と思ったのかもしれません。

期待していた周囲の人たちからは「なんで途中でやめるんだ!最後までやれ!」と、聖人は非難されていたかもしれません。

そして「ここは気まずいので、よそで阿弥陀如来の法を説いていこう」と、常陸国(茨城県)に向かったのかもしれません。

合掌

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2020年05月06日