袈裟7

久馬慧忠氏の『袈裟のはなし』に「見真大師(けんしんだいし)うらきぬの御書」という親鸞聖人と袈裟にまつわる話が紹介されていました。


建暦元年(1211年)の冬、流罪を赦免されて地方教化に赴いていた親鸞聖人。
訪れた伊勢国(三重県)桑名では、漁師に対して念仏を勧めるため、袈裟の裏に法語を記して渡していました。
この袈裟が今では巡り回って真宗高田派の本山である専修寺に納まっています。
裏に書かれた法語は次の通り。

たとひ一形のあひだ悪をつくるとも、宿業(しゅくごう)のがれがたく、さりがたきは如何にせん。
ただひとすじに仏たすけたまへと信じて専精(せんしょう)に念仏すれば、願力のつよきにひかれて往生するなり。
龍王すら袈裟の片端を得れば金翅(こんじ)の難をのがれ、浦人(うらびと|漁師)袈裟を得れば風波の難なし。
いはんや万善所帰の法船、仏智施与の信帆、あに煩悩の風を恐れんや、あに妄念の波に沈みなんや。願力不思議なればなり。
ゆめゆめ、これさらに親鸞が私に申すことにあらず。六法恒沙の諸仏の証誠にて候なり。あなかしこ、あなかしこ。念仏往生証拠のため、予が袈裟の裏衣(うらきぬ)に記しはべる。

南無阿弥陀仏
建暦第二 十月九日
桑名の浦人へ
愚禿


「龍王すら袈裟の片端を得れば金翅の難をのがれ」について、力が及ばず元となる経典は見つからなかったのですが、『今昔物語集』3巻9話に「龍の子、金翅鳥(こんじちょう)の難を免れたる事」という物語がありました。

今は昔、諸々の龍王は大海の底を以て栖とす。必ず金翅鳥の怖れ有り。亦、龍王は無熱池と云ふ池を栖とす。其の池には金翅鳥の難無し。大海の底に有る龍が子を生たるを、金翅鳥、羽を以て大海を扇ぎ干て龍王の子を取て喰んとす。

然れば龍王、此の事を嘆き悲んで、佛の御許に参て佛に申して言さく、「我等、金翅鳥の為に子を取られて、更にすべき方無し。何としてか此難を免るべき」と。佛、龍王に告て宣はく、「汝ぢ、比丘の着せる袈裟の片隅の地裂を取て、其の子の上に置くべし」と。龍王、佛の教の如く袈裟の片隅の地裂を取て、子の上に置つ。其後、金翅鳥来て羽を以て大海を乾して龍王の子を求むるに、更に見えず。然れば金翅鳥、終に龍王の子を取る事能ずして歸ぬ。

此の鳥をば迦楼羅(かるら)鳥とも云ふ。此の鳥の二の羽の廣さ、三百卅六万里也。然れば大さ・勢ひ、思ひ遣べし。亦、猶、袈裟をば貴び敬ひ奉べし。袈裟の片隅の地裂を上に置たるだけで、金翅鳥の難を免かる。いかに况や、袈裟を着せらん比丘をば佛の如に敬ふべし。譬ひ破戒僧也と云とも軽め慢づる事無かれとなん語り傳へたるとや。

【私訳】
今は昔のことですが、龍王は大海の底を住み家としていました。しかし、そこには天敵である金翅鳥が来る恐れがあります。
他にも、龍王は無熱池という池を住み家としていました。この池であれば金翅鳥に襲われる心配はありません。
大海の底で龍が子どもを生むと、金翅鳥が大海を羽で扇いで干からびさせ、龍の子を取って食べてしまいます。

このことを嘆き悲しんだ龍王は、お釈迦さまの元を訪れてお願いしました。

「金翅鳥に子どもを取られて、為す術がありません。なんとかしてこの難から逃れられないでしょうか」

「それでは、お坊さんが着ている袈裟の切れっ端を取って子どもに渡しなさい」

龍王は言われたとおりにしました。
その後、金翅鳥がやってきて羽で扇いで大海を干上がらせます。そして龍の子を探しましたが、見つけることができず帰って行きました。

金翅鳥は迦楼羅鳥ともいって、羽を広げると336万里とあります。(恐らく原典は中国で翻訳されているので1里を400mで考えると、その大きさは1344万km。太陽の直径の100倍。デカすぎ)
想像できないほど大きな鳥ですが、袈裟を貴んで敬い奉っていました。だから、袈裟の切れ端を持った龍の子は襲われなかったのです。
何が言いたいかというと、袈裟にはそれだけの功徳があるのだから、袈裟を着たお坊さんを敬いましょう。もしもそれが戒律を破っているお坊さんだったとしても軽んずることがあってはいけないと語り継がれています。

このように袈裟には大きな功徳があったため、「浦人袈裟を得れば風波の難なし」と漁師に袈裟を与えたのでしょう。


道元禅師も『正法眼蔵』「袈裟功徳」で『大乗本生心地観経(だいじょうほんじょうしんじかんぎょう)』に説かれている偈文を引用して、

若し龍有りて身に一縷(いちる)を披(ひ)せば、金翅鳥王の食(じき)を脱(まぬが)るることを得ん。
若し人 海を渡らんに此の衣を持せば、龍魚諸鬼の難を怖れじ。
もし龍が、袈裟の一筋の糸を身に着ければ、金翅鳥王に食べられることも無いであろう。
もし人が、海を渡る時にこの袈裟を持てば、龍魚や様々な悪鬼の難も怖くはないであろう。

と述べられています。


聖人の法語はさらに「ましてや、全ての善が帰するところである『南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)』の船は、仏さまの智慧から与えられた信心を帆にしているから、煩悩の風や妄念の波を恐れることはありません。仏さまの願いの力は、私たちの思い計らいを超えているのです」と続きます。


袈裟のひと切れに大きな功徳が宿っているように、「南無阿弥陀仏」の僅か六字に広大な功徳があることを船に譬えています。
宗祖はよく船の譬えを用いましたが、相手が漁師であったことも関係しているのかも知れません。


最後は「決して、これは私が申すことではありません。ありとあらゆる仏さまによって証明されています。恐れ多いことです。念仏による往生を明らかにするため、私が袈裟の裏地に記します」と締めくくられています。


宗祖の袈裟にまつわる話は多くなく、この話は私も初めて見ました。なかなか興味深い伝承です。

合掌

前の投稿

次の投稿

2018年02月17日