お坊さんのユニホームである袈裟。
その他諸々の作り方に到るまでお釈迦さまは細かく定められました。
問題が生じるごとにアップデートを繰り返し、仏典には1から10まで詳しいルールが決められています。
世界にはさまざな宗教がありますが、教祖自らが弟子のために衣服を細かく定めた例はありません。
お釈迦さまの精神と仏弟子の生活規範とすべき重要な要素が袈裟には盛り込まれています。
つまり、袈裟はお経と同じくお釈迦さまの教えそのものということです。「袈裟を着ることは、仏さまの心を身にまとうこと」といっていいでしょう。
「衣法一如(えほういちにょ)」という言葉があります。袈裟(衣)と仏法の真理(法)はひとつという意味です。
『仏説法滅尽経』には次のように説かれています。
私が涅槃に入った後、私の説いた法が滅しようとする時、五逆の罪を犯す汚れた世の中になり、魔道が盛んになるであろう。この魔道が沙門という出家した者を惑わし我が佛道を破壊して、道を乱すであろう。
僧侶や尼僧が、俗人の衣装を着て、袈裟も質素であるべきものが五色の服を喜んで着るようになる。
その上、酒を飲み、肉を食い、生き物を殺しその味を貪り、およそ慈悲心がまったくなくなり、自ら修行し、衆生済度すべきもの同士が、お互いに憎んだり、ねたんだりする。
そのような末法の世の中でも、まともな菩薩、辟支、羅漢が出現して精進しながら徳を修めるので、世の中の人はみな敬い、崇め奉るようになる。
法の影響力が弱まると、袈裟の本来の形が失われるといいます。
袈裟が乱れると仏法が乱れ、袈裟を正すと仏法も輝くのでしょう。
お経を本を開く前に、額に押し頂く作法があります。仏さまの言葉を敬う心を丁寧な作法として表します。
同じように、袈裟を着るときには袈裟を額に押し頂いてから着用するように……と、勤式指導所で習いました。残念ながら、実践しているお坊さんはあまり見ません。
袈裟を着ているお坊さんではなく、袈裟そのものに大きな功徳があります。
なぜなら、お釈迦さまが制定された袈裟は仏教の教えそのものであり、お釈迦さまの言葉こそが苦悩で溢れた迷いの世界を離れる道が示されているからです。
合掌