仏教青年会の行事のお手伝いに参加しました。
前回に引き続き「お坊さんと考えよう」と題したワークショップです。今回のテーマは「愛」について。
「家族愛」や「友愛」など、人間関係にはさまざまな愛のカタチがあります。
参加者からの質問を受けて、お坊さん達が思い思いの愛を語ります。
私は「仏教的に愛を語る」という役目をいただきました。
仏教は世間一般で語られるような「愛」については、否定的な立場をとります。
愛とは、サンスクリット語(ヴェーダ語?)の「tṛṣṇā(トリシュナー)」を意訳したもので、「むさぼり」「執着」を意味します。
喉が渇いているものが水を求めてやまないように、あらゆる欲望を満たそうとする心であることから、「渇愛(かつあい)」とも呼ばれます。
貪愛(とんない)、愛欲(あいよく)、恩愛(おんない)といった熟語にします。
一方で、「preman(プレマン)」「sneha(スネーハ)」を原語とした愛は、肯定的な立場をとります。
こちらは仏さまが衆生に向けるような「ねがい、いつくしむ心」「他人に対する隔てのない愛情」を意味し、「慈悲」に近い概念です。
愛楽(あいぎょう)、慈愛(じあい)といった熟語にします。
前回は聞き役に徹していたのですが、「もっとお坊さんの話を聞きたい」とリクエストがあったため、今回は積極的に発言しました。
役割がハッキリとしていたので、前者の立場から徹底的に「愛」を否定します。
喋れば喋るほど、終わってから「あぁ言えば良かったな」「あれを言い忘れたな」と反省します。