説教の変遷

敬愛する西原先輩に勧められた『説教の秘訣』という本があります。

その昔、説教者としての修行は、著名な説教者に随行し、師の身の回りの世話をしながら、あるいは合宿して集中し、普段の態度、挙措心得を学び鍛えられるもので、説教の内容も含め、それらは秘中の秘、口伝による奥義であった。

説教を基礎から学ぶ初心者向けに書かれた大須賀順意『説教の秘訣』を読みやすい現代文で示し、府越義博による「説教台本作成法」と「武藤幸久真宗説教本コレクションリスト」を付す。今回の増補にあたり、「説教台本作成法」を初心者にもより分かりやすく改めた。

第1章では、布教師としての日常的心構えや、登壇にあたっての覚悟が説かれる。

第2章では、布教師としての声の鍛え方、修辞法、才智、学問的教養について述べる。

第3章では、説教の構成法を4種に分かち、原稿の作り方を記す。

第4章では、第3章で示した各構成法の例題を示す。

第5章では、布教師としての熟達度を10段階に分けて示す。

布教師は自身がどの段階にあるのか見極め、順々と次の段階に到達できるよう精進すべきである。
本書の10段は「段外の1段」という妙境に至るための方便である。
これから布教師を志す僧侶だけではなく、布教の第1線に立つ僧侶もさらなる向上のために、本書を熟読することを勧めるものである。


布教を志すものであれば、まず最初に学ばなければいけないのが先人たちの叡智が詰まった伝統的な型です。型を学んで初めて「型破り」が成立します。


説教の内容の変遷について、次のような考察が本書でなされていました。

浄土真宗は聞法の宗派である。古くは宗祖・親鸞聖人の時代から、法義を説く法談が盛んに行われ、それを聴聞することによって、門徒は自らの信心を深めていったのである。
その法談の場である法座こそ、浄土真宗の要といえるものであった。

その伝統は、明治・大正を経て昭和初期まで引き継がれ、当時は全国の真宗寺院で日常的に法座が開かれていた。
そして群参と呼ばれる本堂を満杯にする聴聞者が、ごく普通に見受けられたのである。
もちろんそれに対応できるように、多くの説教者が生まれ、面白おかしくも感動のうちに、真宗の法義を説く伝統的説教が練り上げられていった。
いかに面白く人気があったかを示す逸話として、名人と呼ばれる説教者には、その名前だけで聴聞者が殺到したため、名人の説教の日には、その説教所近くの寄席が空になったという話まで残されている。

しかし、明治の開国によってキリスト教が解禁となり、また西洋の近代合理主義が入ってくる中で、それに対して危機感を抱いた宗門内の一部のエリートは、それに対抗するために西洋哲学によって教義を解釈し直し、教団の近代化を目指した。
彼らの目に土着の信仰風土は、一刻も早く抜け出さねばならない、旧弊な泥臭いものと映ったのであろうか。
彼らは説教者に対して「もう少し学問的な話をせよ。あまり芸能的な話はやめよ」と注文をつけ、次第次第に伝統的な説教は隅に追いやられてしまったのである。

そのため、それまでこのような説教を楽しみにしていた聴聞者がそっぽを向き、寺に参り事を止めてしまった。
いまでは法座に満堂の聴聞者を集めることのできる真宗寺院は皆無に近いといってもよい。
近年、その伝統的説教が見直されはじめているのは、学問的な現代的布教の限界がありありと見えてきたからであろう。

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2019年02月24日